名古屋市美術館 Nogoya City Art Museum

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東山動物園猛獣画廊壁画修復プロジェクト

太田三郎《東山動物園猛獣画廊壁画 No.1》修復前 1948年 名古屋市美術館蔵

ごあいさつ

第2次世界大戦時に多くの動物を失った東山動物園では、1948年に当時のカバ舎に「猛獣画廊」が設けられ、北極・南極、南方熱帯、アフリカの動物が描かれた3枚の壁画が展示されました。やがて動物園に動物が戻り、3枚の壁画は役目を終えました。制作から約50年後、1997年に当館に収蔵されましたが、当初から傷みが目立ち、修復が必要な状態でした。

2018年、当館の開館30周年を記念して開催した展覧会で初めて3枚の壁画を展示したところ、多くの皆様から関心を寄せていただき、「作品を修復するべき」とのお声もいただきました。そして、開館35周年の2023年に修復することを目指して「東山動物園猛獣画廊壁画修復募金」をスタートし、皆さまにご協力をお願いいたしました。  

本年、皆様のご支援により、名古屋市の貴重な文化財である壁画3枚の修復をスタートすることができました。修復にあたりましては、愛知県立芸術大学文化財保存修復研究所に依頼し、修復の専門家、また 近隣で文化財の修復や保護等について学ぶ学生、研究者を中心としたチームを組織し、研究、人材育成を図りながら、調査、修復を行っていくことになりました。  

これまでの皆様のご支援に深く御礼申し上げるとともに、引き続き、東山動物園猛獣画廊 壁画、また美術品の保存・修復へのご支援、ご理解をお願いいたします。

東山動物園猛獣画廊壁画とは

第2次世界大戦前、1943年発行の『東山動物園要覧』では、東山動物園に291種1,142点の動物が飼育されていたことが記録されています。しかし、戦時中に軍の指示で処分されたり、食料不足や暖房不足から動物の数は激減し、終戦時には、主だった動物としてはゾウ2頭、チンパンジー1頭、マナヅル、オオヅルをはじめ鳥類12種のみでした。(動物園関係者が改めて調査したところ、終戦時の動物は「哺乳類が6種9点、鳥類は12種13点で哺乳類と鳥類を合わせて18種22点」と判明しています。)

終戦の翌年、1946年3月17日に動物園は数少ない動物とともに再開しました。しかし、動物園に来ても、子どもたちがライオン、ヒョウ、カバといった動物を見ることができませんでした。東山動物園の当時の北王園長は「これでは子供たちがあんまり可哀そうです。いまのままでは子供たちは三十年から五十年、こと動物に関する限り知識と興味からおくれてしまいます」と嘆いていました。このことを憂慮した地元の中京新聞社が、1948年に提唱し、猛獣画が制作されることになりました。空いていた当時のカバ舎を猛獣画廊と名付け、そこの壁の大きさに合わせて壁画が計画され、「北極・南極」「南方熱帯」「アフリカ」の3作品に分けて描かれることになりました。

 壁画を描くことになったのは当代一流の画家3名、1948年10月2日の記事では「光風会の太田三郎氏、春陽会の水谷清氏、第二紀会の宮本三郎氏」と紹介しています。太田三郎は愛知県の出身で、中部日本美術協会の委員長として活躍し、水谷清は岐阜県出身で、中部春陽会の結成に尽力しており、いずれも当時は名古屋在住でした。宮本三郎は石川県出身で、前年には第二紀会結成に参加するなど活躍をみせていました。記事には誰がどの絵を描くかは抽選で決まり、キャンヴァスと絵具も新聞社が手配、そして10月半ばには下絵が完成し、11月上旬に完成・お披露目という計画が伝えられています。

猛獣画廊の開会式は、1948年11月13日午前10時に行われ、その後壁画が一般公開されました。来場した子どもたちは、大きな画面に描き出された猛獣の姿に興味をもち、大人はライオンやトラを思い出したと語っていたことが報じられています。 

壁画制作の様子 提供:名古屋市東山動植物園

その後、動物園では動物の飼育数が回復し、猛獣画廊壁画は役割を終えましたが、正確な 閉廊の日付はわかっていません。壁画は一時期、名古屋市中区にあった名古屋観光会館に移されました。同会館が閉館になる際に廃棄の方針となりましたが、名古屋市美術館が保管することを決め、1997年に収蔵されました。  

戦後の荒廃した時期に、子どもたちのためにと制作された本壁画は、戦争のもたらす悲惨さ、社会と美術の結びつき、そして名古屋の歴史を伝える貴重な文化遺産です。

壁画公開時の様子 提供:名古屋市東山動植物園

作品紹介

太田三郎《東山動物園猛獣画廊壁画No.1》修復前 1948年 油彩・キャンヴァス 137.0×500.0㎝
水谷 清《東山動物園猛獣画廊壁画No.2》修復前 1948年 油彩・キャンヴァス 137.0×500.0㎝
宮本三郎《東山動物園猛獣画廊壁画No.3》修復前 1948年 油彩・キャンヴァス 137.0×500.0㎝

制作にあたっての画家の言葉

1948年10月2日付「中京新聞」掲載された画家3名の言葉を紹介します。

太田三郎

「中京新聞のこの企ては地方文化の自主性樹立を志して名古屋へ居を移した私にとってこと に意義が深い。今日のこの郷土の荒涼とした生活環境へこれによって何ものかを贈ることが出来れば限りない喜びである。併せてはこれが芸術と科学との醇化、科学が芸術の光被によって大衆の心奥に浸透する効果、といったようなものについての試金石の一つともなれば一層の喜びである。私のタラン〔才能〕が果たしてそれに副いうるかどうかは頗る心許ないが、最善をつくして折角の企図からヴアリユウ〔価値〕を減じないように努めよう。」 〔 〕補足

水谷清

「動物画廊は現代の日本では子供のために是非とも緊急にやらなければならない仕事だと思って引受けた。わが国ではじめての試みだから引受けてさてどうとわれわれにも見通しはつかない。むしろ時代に逆行したパノラマ風な画面をどう現代に生かすか・・・むづかしく考えれば手がでない。私としては美術的な角度を失わないで南方熱帯のふんい気と科学的な猛獣どもの生態を可愛いい子供たちに楽しく伝えることに重点をおいて仕事を進めたいと思う。」

宮本三郎

「私がこんど委嘱されて失われた動物たちの画像を描きあげることは甚だ愉しいことであります。日本の小国民たちが将来世界人として生きてゆく上からもこの動物との接触に深い意義を感じさせられます。私どもの絵が、彼ら動物の自然なままの生態を伝えることに役立ち、その理解への手引きとなればと思います。飼われた動物と野生の動物には大きな相違があり、その復原に全力をつくしたいと思います。」

東山動物園猛獣画廊壁画修復プロジェクトとは

1948年に描かれた猛獣画廊壁画の3枚は、経年による変化や汚れ以外にも、画面の一部が破れたり、絵具が画面からはがれてしまったりと傷みが見られる状態です。適切に修復するためには、作品がどのように描かれ、また現在どのような状態であるかを調べる必要があります。そして、修復方針を決定します。それは、私たちが体調を崩した時に、病院へ行き、医療機器を使って身体の具合を調べ、治療の進め方を決める過程と同様です。治療に医学の知識をもった医師があたるように、美術品の修復は、その美術品に適した知識をもつ専門家が行います。  

このたびの修復プロジェクトは、愛知県立芸術大学文化財保存修復研究所に依頼して、絵画修復の専門家を中心に、近隣で絵画の修復や保護等について学ぶ学生、研究者を中心としたメンバーで行います。

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