「ロボット家族お父さん、お母さんのニューヨーク訪問記」①

前回、7月5日付けのブログで少し紹介しましたが、当館所蔵のナムジュン・パイク《ロボット家族(お父さん、お母さん)》二体の作品の修復作業を行いました。当館の展示室では、「地デジ」放送が受信できず、またWi-fi空間ではないため、《ロボット家族》「お父さん」の目と「お母さん」の目及び胸の部分に搭載された受像機7台には、テレビ放送がリアルタイムで受信、放映できないこともあり、ここ四年ほど常設展示で展示紹介できないという、“異常”な状態にありました。

そんな折、去年の10月、ニューヨークから同作品に対して出品依頼が寄せられました。元々、作品の躯体の構造が決して頑丈ではない上に、テレビ放送が受信できないこともあり、当初出品は辞退するつもりでしたが、ニューヨークのアジア・ソサエティ美術館学芸員で展覧会の企画担当者でもあるMichelle YUNさんの熱心な出品依頼と熱意にほだされ、そして何よりパイクの回顧展ということもあり、修復を条件に貸し出し出品することになりました。

修復にあたっては、まず二体のロボットに搭載された12台のテレビモニターが受像できるかどうかが、当面の、だが最大の課題でした。およそ四年間も展示していない、つまり通電していないブラウン管テレビや液晶テレビが、果たして“生きている”のか?その不安を抱えながら、さらに今回の貸し出しだけではなく、今後当館の常設展での展示・紹介を考えると、作家であるナムジュン・パイクが制作した当時の状況を再現しながらも、将来に亘ってその機能と効果が持続されるような修復効果が必要とされます。

「お父さん」12台、「お母さん」11台のモニターのうち、パイクが制作編集したCG映像を流すブラウン管テレビ受像機26台に関しましては、“通電”し、何とか映像を映し出すことはできました。一方、リアルタイムでテレビ放送を受信する液晶モニター7台に関しては、美術館屋上に設置された「地デジ」放送のアンテナ端子からケーブルを延ばし、連結してみるとその一部に不具合が確認され、今回の修復では、液晶テレビモニターすべての交換と「地デジ」放送の受信、確認を目指すこととなりました。

「お父さん」の頭部、カバーを外したところ
図①

「お父さん」のボディから外された頭部
図②

「お父さん」の液晶モニターを外したところ。モニターの支えが確認できる。
図③

そして、修復作業の過程において、興味深いことが判明しましたので、その一部を以下にご紹介しましょう。

ナムジュン・パイク《ロボット家族》は、1986年に制作され、すでに紹介しましたとおり、7台の液晶モニターが搭載されています。今回修復のための解体してみると、それらはSONYの携帯型液晶モノクロモニター“WATCHMAN”という代物でした。

「お母さん」の胸の部分のモニター取り付け状況
図④

「お母さん」のボディから外された液晶モニター《ウォッチマン》
図⑤

1980年代に音楽はもとより、若者文化さらにはストリート・カルチャーに決定的な影響を与えた同社の“携帯型ステレオカセットプレーヤー”《ウォークマン》は、今日の「スマホ」文化にも通低する“伝説”として有名ですが、同時期に開発、販売されていた《ウォッチマン》も一部のマニアの間では熱狂的な支持を受けていたようです。よく指摘されることですが、新たな企画を目指した当時のSONYの進取の意欲と企業精神には改めて驚かされます。
また、それとともに新たな電化製品を早速自身の作品に取り込んだパイクの発想と決断に感心しました。だが、《ウォッチマン》も《ウォークマン》同様携帯型で、そのボディは、シルバー・メタリックに統一されており、それをロボットの目として搭載するに当たってブラウン管テレビのモニターに仕組むのには、そのシルエットが出てしまうことが判明したのでしょう。パイクは一台一台を自身で、つや消しの黒でペイントしたり、黒の絶縁テープで張ったりという試行錯誤が手に取るようにわかりました。葛藤とその痕跡を確認できたことによって、作家としてのパイクの人間性が身近に感じられ、以前にも増してこの作品《ロボット家族(お父さん、お母さん)》が好きになりました。

そして14インチの新たな液晶モニターを搭載し、
【新旧の小型液晶モニター】
図⑥
その画像をblack & white、所謂モノクロに変換し、「地デジ」放送の受信を確認し、新規交換の小型液晶モニターをフレームに仮設置、
図⑦
無事本来の姿と機能を取り戻すことができました。

小型液晶モニターを新規ベース装着しフレームに設置
図⑧

そして、輸送時の安全のためにモニターを本体からは外して、梱包、8月20日、ニューヨークに向けて搬出されました。

投稿者:J.T.

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