カテゴリー別アーカイブ: 雑記

浅野弥衛アトリエ訪問

浅野弥衛(あさのやえ/1914-1996)は、引っかきによる線描で画面を作る独自の作風で高い評価を得ている戦後の東海地方を代表する作家です。生誕100年となる今年は、各地で浅野を偲ぶ展覧会が開かれ、久しぶりに多くの作品がまとめて見られる機会となっています。

当館でも、所蔵作品を紹介する常設展示「名品コレクション展II」(会期:9月6日~10月26日[前期]/ 11月8日~12月23日[後期])において、<郷土の美術>のコーナーで「浅野弥衛と桜画廊の作家」というテーマで作品を展示しています。

「桜画廊」は、名古屋を代表する現代美術画廊であり、浅野の主要な作品発表の場でもありました。「桜のおばちゃん」として親しまれていた画廊主の藤田八栄子(1910-1994)の逝去による閉廊から20年。これに因む企画でもありますが、浅野と同じ時代を生きた作家たちの作品とともにその作品をご覧いただくことを意図したものでもあります。

三重県鈴鹿市に生まれ、生涯を過ごした浅野は、「三重の作家」であり、10月1日の誕生日を初日として、三重県立美術館とパラミタミュージアムで個展がはじまっています。それに先立ち、鈴鹿市文化会館でも9月26日から28日までの会期で個展が開かれ、あわせて同市内にある浅野のアトリエが一般に公開されていました。

浅野1
アトリエの外観

浅野2
アトリエのなか

浅野の生家は代々刻み煙草の仲買を営んできた旧家で、アトリエは築300年ほどのしもた屋の店先を改修したものです。アトリエのなかだけでなく、土間を挟んだ板敷にも作品や資料類が展示されていました。

浅野3
アトリエの内窓から見た店先の板敷

作家が使用していた道具や画材も展示されています。

浅野4
道具と画材。書籍は浅野が装丁を担当したもの

お邪魔している間にもたくさんの方がいらしていました。

浅野5
作品や資料を熱心にご覧になるみなさん

アトリエを訪れるのは久しぶりのことでしたが、ご遺族によって大切に守られているのを拝見し、変わらぬ様子に懐かしさを感じました。浅野の作品は、作家が暮らした鈴鹿の自然と風土に強く結びついています。浅野が「鈴鹿の作家」であることを改めて感じたアトリエ訪問でした。

投稿者:み。

「ロボット家族お父さん、お母さんのニューヨーク訪問記」③(完)

 ニューヨークのアジア・ソサエティ美術館での展示を無事終えて、8月27日に帰国しました。
前回のブログでご紹介したとおり、23日(土)に組み立て展示を終え、テスト・ランも確認、映像の立ち上げの手順についても伝え、作業を終了いたしました。翌24日(日)は、美術館自体が休館、展示作業も休み、終日フリーでしたので、同地の美術館を訪れ、展覧会を見学しました。今回は展覧会の報告を兼ねて、連載の最終回としたいと思います。
ホテルのあった東48丁目から、北に向かって歩き、まずは東89丁目にあるグッゲンハイム美術館ニューヨークを訪れました。
図①

 同美術館では『イタリア未来派』の展覧会が開催されていました。相変わらず充実した内容で、充分に堪能できました。グッゲンハイム美術館を出て、その後セントラル・パークを横切って西78丁目にあるチルドレンズ・ミュージアムをはじめて訪問しました。
図②

 同美術館では今年の五月から七月にかけて、レッド・グルームスの“ラッカス・マンハッタン”を素材とした展覧会とワークショップが開催されていました。残念ながら、そのプログラムは既に終了していましたが、レッド・グルームスの作品《ウールワース・ビルディング》を収蔵する当館にとっても参考になるのではないかと思い、訪問した次第です。一階のメイン・ギャラリーは、日曜日ということもあって子供たちで賑わっていました。エレベーターで3階に昇り、ニューヨークの街をテーマにした「教室」に入ると、同館が所蔵するグルームスの作品《フラットアイアン・ビルディング》とドローイングが展示されています。
図③

 この教室では、積み木やブロックを使って、ニューヨークの東22丁目とブロードウェイが交差する地点に建つ同ビルの周囲を作り出す仕組みと工夫が込められているようです。また、廊下には壁面にバスやタクシーが設置され、子供たちが乗り込むことによって、グルームスの手法が体験できるように工夫されています。
図④

 「教室」の雰囲気からは、単なる展示だけではなく、作品を見て、街の賑わいを想像し、更に自分たちで作ってみる楽しみを提供しています。当館の展示と紹介について振り返り、改めて考え直す機会となりました。
 子供たちが走り回る美術館を出て、今度は東に向かって歩き出しました。
 
 七番街は「歩行者天国」として開放され、通りの両側にははるか遠くまでいろいろな出店がでています。
図⑤

 セントラル・パークの中にある池では、人々が手作りのヨットを浮かべたりして、穏やかに晴れた日曜日を思い思いに過ごして居ます。
図⑥

再びセントラル・パークを突っ切って、さらに東へ、次に辿り着いたのが、マディソン・アヴェニューに面した東75丁目のホイットニー美術館です。
図⑦

 同館では90年代の現代美術の世界を席巻したジェフ・クーンズの回顧展が開催されていました。日本でも美術雑誌で紹介され、その後当時イタリアの国会議員で女優でもあったチッチョリーナ女史と結婚・離婚したりで、一時期世間を賑わしたりした作家です。入場券を買うための人の列が、美術館の一角を取り巻くのを見て、断念しようかとも思いましたが、アジア・ソサエティ美術館のYUNさんからもらったフリーパスを持っていたこともあり、覗くだけでもと思い、入ってみました。展覧会は同美術館の全フロアーを使って展示、バスケットボールを水槽に浮かべた1985年の作品から最新作まで、結構見応えのある内容で、改めてこの作家の重要性が確認できました。
図⑧

 会場風景。巨大で限りなく“ポップな”作品が数多く展示されていました。印象的だったのは、多くの観客が、スマート・フォンで撮影したりして、展覧会を本当に楽しんでいたことです。図⑨

 チッチョリーナとクーンズの肖像彫刻。このほか二人をテーマにした写真による巨大な平面作品もあったのですが、撮影するのも憚れるものでした。ご当地名古屋では、即「ワイセツブツ・チンレツザイ」として摘発されるでしょう。New Yorkでは「R指定」もなかったようです。
図⑩

 ご存知“King of POP”マイケル・ジャクソンの肖像。まるでマイセンの陶器のように美しいものでした。90年代初頭には530万ドルで落札されたそうですが、今日では予想もできない金額になっているでしょう。それはともかく、愛猿の「バブルス君」はどうなったのか、気になるところです。
図⑫

 2013年の新作《Blue ball》
図⑬

 その後、マディソン・アヴェニューを南に下り、53丁目を西へ、五番街に出ました。
 
 五番街と53丁目の南西角のビルには、「ユニクロ」が入ってます。
図⑭

「ユニクロ」の角を曲がれば、ニューヨーク近代美術館です。

 Moma(53丁目側)の入口
図⑮

 生憎、特別展示室は展示作業中のため休室中。

 前室に置かれた輸送用クレートの山
図⑯

それでも、収蔵品を紹介した常設展だけでも所謂“名品”ばかり、見所満載で、充分時間が費やせます。

 展示室内部、ブランクーシの彫刻群。
図⑰

 こちらはモンドリアンとデ・スティルの展示スペース。
図⑱

 ロシア・アヴァンギャルドのコーナー。展示されたロドチェンコの作品のすぐ側では隣のビルと54丁目が見下ろせる。
図⑲

展示室で見かけた光景。草間弥生と“ドレッド・ヘアー”。さすがNew York!
図⑳

 三階は、建築、デザイン、素描と写真のフロアー。同館では、既にテレビ・ゲームのソフトの収集・展示を始めています。向かって右端にあるのは、ブームの先駆けとして“一世を風靡”したMade in Japanの《スペース・インベーダー》。並んで待つことなく、勿論、無料で楽しめます。およそ35年振りに、“名古屋撃ち”を試してみました。
図21

 展示室から中庭の彫刻庭園を望んだところ。建物の上にはレイチェル・ホワイトリードの“給水タンク”。
図22

 閉館時間になり、近代美術館を出てもまだ陽が高かったので、ニューヨークの街路を散策しながら、また南に向かって歩き出しました。久々に充実した、そしてよく歩いた一日になりました。

[追記]
  当館所蔵のナムジュン・パイク《ロボット家族(お父さん・お母さん)》が出品されている展覧会『NamJune PAIK; Becoming Robot』は、Asia Society Museum(725 Park Avenue New York)で来年1月4日まで開催されています。
図版23
図版24

投稿者:J.T.

「ロボット家族お父さん、お母さんのニューヨーク訪問記」②

8月17日に輸送のための解体、モニターを取り外した《ロボット家族(お父さん、お母さん)》の二体は、あらかじめ採寸、制作された輸送用の巨大な木製クレート三箱に収納され、19日に通関検査、そして20日に美術館から搬出されました。
クーリエ(courier)として作品に随行することになった筆者は、翌21日成田発の旅客機で出発、およそ11時間のフライトで無事ニューヨークのJ.F.ケネディ空港に到着しました。作品を貸出、展示するアジア・ソサエティ美術館は、マンハッタンのPark Av.(パーク・アべニュー)の725番にあります。事前にその場所を地図で確認することもなく、「パーク・アベニューのだいぶ北の方だろうけど、マンハッタンの中にあるからいいや。」と思い、訪問したのですが、行ってみてビックリ。
マンハッタンの中心部、東70丁目“目抜き通り”パーク・アベニューに面した絶好のロケーションにあります。

パーク・アベニューに面したメイン・エントランス
図①
図②

美術館の前のパーク・アベニューを南に振り返ると、すぐ間近にグランドセントラル駅の駅舎とかつてのPAN-AM(パンアメリカン航空会社)、現在はアメリカの保険会社のビルが見えます。
図③

アメリカ美術の「殿堂」ホイットニー美術館には歩いて5分、メトロポリタン美術館やグッゲンハイム美術館ニューヨークにも10分程度の距離でした。これまでもニューヨークには訪れたことはあるのですが、悲しい哉、職業柄か単に生来の性格によるものか、ニューヨーク近代美術館(Moma)から北は、メトロポリタンやグッゲンハイムが面した五番街を南北に往復を繰り返していました(因みにその時はいつも高橋真梨子の歌を思い出します)。そのため、アジア・ソサエティ美術館は今回始めての訪問となりました。

さて、到着すると早速アジア・ソサエティ美術館のスタッフが出迎えてくれました。アジア・ソサエティ美術館学芸員で展覧会の企画担当者でもあるMichelle YUNさんと、ホテルの手配等、今回のニューヨーク滞在の手配をしてくれたJennifer Patric Limaさんとは、これまでメールのやり取りだけでしたが、本人に会うと、初対面とは思えずなぜか安心しました。
驚いたのは、Michelle YUNさん。妊娠中で、出産予定日は展覧会開幕10日後だそうです。今回の企画にかける彼女の熱い思いがひしひしと感じられました。

美術館は、9月4日から始まる「ナムジュン・パイク展」のために現在、ミュージアム・ショップを除いて休館中でしたが、それでも館の内外では展覧会に向けて着実にその準備が進められています。

同美術館エントランス・ロビー
図④

パーク・アベニューに掲げれらた展覧会予告看板
図⑤

館内カフェ・ロビーにも展覧会パネルが架け替えられました。
図⑥

展覧会場は美術館2F、3Fのフロアーで開催、二階への階段。
図⑦

到着早々、同館の展示スタッフと一緒と開梱、組み立てにかかりました。

作品本体を設置、これからテレビモニターの搭載と受信に取り掛かります。
図⑧

作品に関しては名古屋で改良・修復した折に、一通りのレクチャーと記録写真は撮っておいたのですが、いざ組み立てる段階になると、お願いしていた変圧器が用意されてなかったり、作品のバック・スペースが狭かったり、さらにはハンダ付けしている部分が取れたり、モニターが収納できなかったり、挙句の果てには、現地のテレビ番組New York1がうまく受信できなかったりと、結構苦労しました。それでも、Yunさんに文句も言うことなく、成田でレンタルしたポケットWi-Fiを試してみると、修復してもらった名古屋の技術者と連絡メールのやりとりができ、解決するための手立てを探りました。
21日(木)午後2時から開梱、組み立て、22日(金)は10:00~18:00まで終日、モニターの搭載とテレビの受信、映像チェックにかかり、三日目の23日(土)の16:00になってようやく、無事インスタレーションが完成しました。

設置を終え、受信のための機器にカバーをかけます。
図⑨

「お父さん」の横には、カナダから出品された「べビー」が展示されました。
図⑩

展示を終えて、作品を眺めるアジア・ソサエティ美術館スタッフ。
図⑪

展示を見守るYunさん。当館所蔵作品の貸出・出品を大変喜ばれ、作品を見るたびに感謝してくれました。
図⑫

New Yorkにて。

投稿者:J.T.

「ロボット家族お父さん、お母さんのニューヨーク訪問記」①

前回、7月5日付けのブログで少し紹介しましたが、当館所蔵のナムジュン・パイク《ロボット家族(お父さん、お母さん)》二体の作品の修復作業を行いました。当館の展示室では、「地デジ」放送が受信できず、またWi-fi空間ではないため、《ロボット家族》「お父さん」の目と「お母さん」の目及び胸の部分に搭載された受像機7台には、テレビ放送がリアルタイムで受信、放映できないこともあり、ここ四年ほど常設展示で展示紹介できないという、“異常”な状態にありました。

そんな折、去年の10月、ニューヨークから同作品に対して出品依頼が寄せられました。元々、作品の躯体の構造が決して頑丈ではない上に、テレビ放送が受信できないこともあり、当初出品は辞退するつもりでしたが、ニューヨークのアジア・ソサエティ美術館学芸員で展覧会の企画担当者でもあるMichelle YUNさんの熱心な出品依頼と熱意にほだされ、そして何よりパイクの回顧展ということもあり、修復を条件に貸し出し出品することになりました。

修復にあたっては、まず二体のロボットに搭載された12台のテレビモニターが受像できるかどうかが、当面の、だが最大の課題でした。およそ四年間も展示していない、つまり通電していないブラウン管テレビや液晶テレビが、果たして“生きている”のか?その不安を抱えながら、さらに今回の貸し出しだけではなく、今後当館の常設展での展示・紹介を考えると、作家であるナムジュン・パイクが制作した当時の状況を再現しながらも、将来に亘ってその機能と効果が持続されるような修復効果が必要とされます。

「お父さん」12台、「お母さん」11台のモニターのうち、パイクが制作編集したCG映像を流すブラウン管テレビ受像機26台に関しましては、“通電”し、何とか映像を映し出すことはできました。一方、リアルタイムでテレビ放送を受信する液晶モニター7台に関しては、美術館屋上に設置された「地デジ」放送のアンテナ端子からケーブルを延ばし、連結してみるとその一部に不具合が確認され、今回の修復では、液晶テレビモニターすべての交換と「地デジ」放送の受信、確認を目指すこととなりました。

「お父さん」の頭部、カバーを外したところ
図①

「お父さん」のボディから外された頭部
図②

「お父さん」の液晶モニターを外したところ。モニターの支えが確認できる。
図③

そして、修復作業の過程において、興味深いことが判明しましたので、その一部を以下にご紹介しましょう。

ナムジュン・パイク《ロボット家族》は、1986年に制作され、すでに紹介しましたとおり、7台の液晶モニターが搭載されています。今回修復のための解体してみると、それらはSONYの携帯型液晶モノクロモニター“WATCHMAN”という代物でした。

「お母さん」の胸の部分のモニター取り付け状況
図④

「お母さん」のボディから外された液晶モニター《ウォッチマン》
図⑤

1980年代に音楽はもとより、若者文化さらにはストリート・カルチャーに決定的な影響を与えた同社の“携帯型ステレオカセットプレーヤー”《ウォークマン》は、今日の「スマホ」文化にも通低する“伝説”として有名ですが、同時期に開発、販売されていた《ウォッチマン》も一部のマニアの間では熱狂的な支持を受けていたようです。よく指摘されることですが、新たな企画を目指した当時のSONYの進取の意欲と企業精神には改めて驚かされます。
また、それとともに新たな電化製品を早速自身の作品に取り込んだパイクの発想と決断に感心しました。だが、《ウォッチマン》も《ウォークマン》同様携帯型で、そのボディは、シルバー・メタリックに統一されており、それをロボットの目として搭載するに当たってブラウン管テレビのモニターに仕組むのには、そのシルエットが出てしまうことが判明したのでしょう。パイクは一台一台を自身で、つや消しの黒でペイントしたり、黒の絶縁テープで張ったりという試行錯誤が手に取るようにわかりました。葛藤とその痕跡を確認できたことによって、作家としてのパイクの人間性が身近に感じられ、以前にも増してこの作品《ロボット家族(お父さん、お母さん)》が好きになりました。

そして14インチの新たな液晶モニターを搭載し、
【新旧の小型液晶モニター】
図⑥
その画像をblack & white、所謂モノクロに変換し、「地デジ」放送の受信を確認し、新規交換の小型液晶モニターをフレームに仮設置、
図⑦
無事本来の姿と機能を取り戻すことができました。

小型液晶モニターを新規ベース装着しフレームに設置
図⑧

そして、輸送時の安全のためにモニターを本体からは外して、梱包、8月20日、ニューヨークに向けて搬出されました。

投稿者:J.T.

トリエンナーレもろもろ

 台風が行過ぎた白川公園に蝉の声が聞こえるようになりました。まだ蒸し暑い日がつづいていますが、蝉の声に煽られたじりじりとした暑い夏がもうそこまで来ているようです。
 去年の今頃は「あいちトリエンナーレ」の準備であわただしくしていた当館も、今年は「挑戦する日本画展」が7月5日(土)にはじまり、静かに落ち着いています。
 しかし、時間の経つのは早いもの! 「あいトリ」から1年、「そろそろ次回の芸術監督が発表されるころだな」と思っていたら、その前に思いがけず「札幌国際芸術祭2014」のゲストディレクターである坂本龍一さんの病気療養が発表されて、驚きました。
 「札幌国際芸術祭2014」は7月19日(土)から9月28日(日)までの会期で開催されますが、開催直前の坂本さんの現場からの離脱は、ご本人はもとより関係の方々にとっても一方ないものがあることでしょう。初回である今回のテーマは「都市と自然」。成功に終るよう願っています。
 「ヨコハマトリエンナーレ2014」も8月1日(金)から11月3日(月・祝)までの会期で開催されます。こちらのアーティスティック・ディレクターは、森村泰昌さん。「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」というタイトルです。個人的に着目しているのが、連携プログラムとして開催される「ヨコハマ・パラトリエンナーレ2014」。3年ごとの発展的開催を見据えて、今回第1回目が開かれます。
 「オリンピック」と「パラリンピック」。類して「トリエンナーレ」に「パラトリエンナーレ」。障害のある人とない人を区別するのがよいのかどうかは考えの分かれるところですが、一般に障害のない人ほどには障害のある人が芸術と関わる機会を持てずにいる現在、このような試みには意味があると思います。
 さて、3回目となる「あいトリ」。まもなくやってくる芸術監督とテーマの発表を待ちましょう。

投稿者:み。

7月14日

7月14日は革命記念日ということでパリは祝日。
13日も前夜祭ということで、各地でいろいろなイベントが行われていたようです。

ルーブル美術館の前のチュイルリー公園では、第一次大戦開戦100周年を記念して、当時のベースキャンプの様子を再現していました。
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14日のメインイベントはシャンゼリゼ大通りのパレード。そして夜はエッフェル塔の音楽祭と花火です。
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少し離れたモンパルナスからも、エッフェル塔を見ることができました。
イルミネーションもいつもと違う特別仕様です。
街中の人々が広場に集まり、壮大に打ち上げられた花火に歓声をあげていました。
フランスという国の愛国精神というか、底力を垣間見た気がします。

投稿者:nori

美術館を支えるのはやっぱりコレクションでしょう

7月中旬になるというのに、毎日小雨が降り続け、涼しいのを通り越して寒さすら感じるパリからお届けします。

フランスに出張して5日になりますが思わぬ寒さにびっくり。気温は最高で17~8度という毎日で、街をゆく人の中にはダウン・ジャケットを着ている人まで出る始末です。エッフェル塔も頭の先が雨雲に隠れています。
雨に煙るエッフェル塔

日曜の朝、オランジュリー美術館を目指してコンコルド広場にやってくると、いつもと様子が一変。
いつもと違うコンコルド広場

そうです明日7月14日はバスティーユ監獄を民衆が襲撃したことに始めるフランス革命の記念日。フランスにとっては最も大切な祝日ということで、コンコルド広場を含むシャンゼリゼ通りでは、大規模なパレードが行われ、それを観閲するためのスタンドが急遽できあがっていました。

さて、いつもは開館前から大行列のオランジュリー美術館も、今日は日曜の朝のせいか、それとも小雨降る天気のせいか、並ぶこともなく、すぐに館内へ。モネの睡蓮の大壁画が並ぶ部屋は残念ながら撮影禁止ですが、他の常設展示は写真が撮れます。入口の近くにはルノワールの作品がずらっと一列に並んでいますが、その先の方の突き当たりの壁に何やら見覚えのある作品が。
オランジュリー美術館(1)

近づいて見るとやっぱりそうでした。日本テレビが所有しているルノワール晩年の代表作の一つ《闘牛士姿のアンブロワーズ・ヴォラールの肖像》でした。
オランジュリー美術館(2)

なぜこの作品がこんなところに、と思って隣の解説パネルを読むと事情が判明。先頃まで東京の森美術館で開催され、まもなく7月19日から大阪で始まる「こども展」(日本テレビ他が主催)のお返しとして、オランジュリー美術館に貸し出されていたのです。「こども展」はオランジュリー美術館とオルセー美術館の作品を中心に構成されており、たくさんの作品を借りたお礼に日本のルノワールをお貸ししたわけです。こういう例は展覧会を開催するとき珍しいことではありません。やはりお互いギブ・アンド・テイク。大切な作品を借りたいと思ったら、自分も大切なものを差し出さないといけません。つまり、いい展覧会を開くためには、いいコレクションがないといけません。やはり美術館の基本はコレクションですね。

投稿者:F

フライングマン、再び飛ぶ!

 5月5日付けの当ブログの最後に掲載した写真でおわかりのように、今年の3月26日休館日に地下ロビーの上空、およそ8mの高さに展示していたジョナサン・ボロフスキー《フライングマン》を修復および清掃のために、地上に降ろしました。1988年の開館以来、四半世紀以上も“飛んでいた”ことになります。地上に降ろして気づいたことを少し。このフライングマンは、彼自身が見た、空を飛ぶ夢を作品化したものです。その大きさは彼の身長と同じであることは知っていたのですが、脱落しかけていた手の部分は、ゴム製素材に彩色を施したもので、作家自身の手から直接型をとったものでした。下地となるそのゴムが経年により脆くなり、指の部分に亀裂が入ったようです。亀裂部分を補強し、仕上げの補彩をしました。前回のブログにも記しましたが、ジョナサン・ボロフスキーのサインは、個々の作品にシリアル・ナンバーとしてカウントされ続けます。《フライングマン》では、背中の部分に六桁の数字として書き込まれています。
ブログ図版①

それにしても“濃いい”顔です。
ブログ図版②

 そして、6月30日休館日に《フライングマン》の展示作業にあたりました。当日の展示・復旧作業は、修復や清掃よりも“大仕事”になりました。地上8mの空中に張られたワイヤーに吊るして固定、設置するには、高所作業台が必要なのですが、生憎当館にはその高さにまで届くものがありません。そこで今回は「何でも貸します」と言ってくれる業者から、高所作業台を借りることにしました。搬入されたのは、作業者が乗るゴンドラが9mの高さにまで昇降し、なおかつ自走するという代物で、4tロングのトラックの荷台に載せられて搬入され、さらに、幅、高さ、奥行きともに3mある荷物用エレベーターにもギリギリ入った姿は、もう正しく重機です。
ブログ図版③

ブログ図版④

地下に降りて、所定の位置まで自走し、
ブログ図版⑤

ブログ図版⑥

その後アームを伸ばしてゴンドラを目標の高さにまで揚げてみました。
ブログ図版⑦

ブログ図版⑧

ブログ図版⑨

ブログ図版⑩

最高点まで到達すると、心なしか揺れているようにも見えます。
ブログ図版⑪

その後、作品を載せて再び上昇、
ブログ図版⑫

ブログ図版⑬

目標の地点に到達後、作品を設置、
ブログ図版⑭

ブログ図版⑮

美術館スタッフも固唾を呑んで見守るなか、およそ一時間半で無事作業は終了いたしました。
ブログ図版⑯

ブログ図版⑰
 
およそ三ヶ月ぶりに“飛び上がった”フライングマンは、美術館エントランス総合案内で振り返ると、来館者の皆様と視線が合うように設置されました。皆様のご来館をお待ち申し上げます。
 
 さて、《フライングマン》が“空中”に戻るまで待機していたスタジオには、現在、ナムジュン・パイクの《ロボット家族(お父さん、お母さん)》の二体が収納されています。
ブログ図版⑲

ここ数年、常設展示では紹介できなかった作品ですが、この秋ニューヨークで開催される展覧会への出品が決定、それに向けて、現在修復に当たっています。次回、機会があればその辺りのことをご紹介いたします。

投稿者:J.T.

休館中の“大掃除”

 すでにご案内のとおり、平成26年度は、常設“名品コレクション展”と特別展が同時に開幕することになりました。特別展の終了や常設展の展示替えに伴い、休館している間でも、美術館では、空調機器やエレベーターの整備や点検、展示室の補修や清掃などにあたっています。
 現在開催中の「マインドフルネス!高橋コレクション展 決定版2014」(6/8まで)の開幕までの十日間、美術館正面屋外に設置されているコールダー《ファブニール・ドラゴンⅡ》と地下ロビーに設置されているレッド・グルームス《ウールワース・ビルディング》、そしてジョナサン・ボロフスキー《ハンマリングマン》の清掃、塗装、調整を行いました。屋外に設置されているコールダーの作品は、ここ数年夏の強烈な陽射しや冬の冠雪に曝され、退色がはげしかったため、防錆処理と再塗装を行い、久々にポップな感じを取り戻すことができました。
 また、地下ロビーに設置されている《ウールワース・ビルディング》は、当館の所蔵作品の中でも格別人気の高い作品ですが、1994年の設置・展示以来、十分な清掃ができずにいました。脚立や高所作業に載って、タワーの先端から、筆やエアーブラシを使ってビルの上に居座る龍の背中や翼の間等に積もった埃を掃いました。
ブログ140430 ①

ブログ140430 ②

足場を組むために周囲に張り巡らされた舗道や背後の部分を本体から離してみると、
ブログ140430③

ブログ140430 ④

ブログ140430 ⑤

組立・設置のときに紛れ込んだのでしょうか、当時の展覧会カレンダーを発見したり、
ブログ140430 ⑥

通常では目が届かない部分でも、細部に亘りまで表情豊かな人物が描かれているのに気づき、ブログ140430 ⑦

改めてこの作品の楽しさを確認しました。
ブログ140430 ⑧

ブログ140430⑨

今回は、清掃とともに作品の構造の確認を行いました。この作品は正面右に設置された回転ドア
ブログ140430⑩
から内部、つまりビルのロビーに入ることができるのですが、作品内部の強度と保存の観点から、現在は内部への立ち入りを禁止しています。次回、強度検査と補修を行い、近い将来には小学生限定の内部公開を目指したいと考えています。

高さが6メートル近くもある《ウールワース・ビルディング》の清掃が終わった後に、同じ地下ロビーに設置されている《ハンマリングマン》の清掃と塗装にかかりました。こちらも、ここ数年間清掃、塗装を施してなかったものです。まず、輪郭にうっすらと積もった埃を掃き、それから塗装のための下準備に入ります。
ブログ140430 ⑪
ハンマリングマンの足元には六桁の数字書き込まれていますが、これは作品のシリアル・ナンバーであり、作家であるジョナサン・ボロフスキーのサインでもあります。その白い部分を“マスキング”して、黒い塗装に備えます。
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清掃・塗装は半日ほどで終了、その後カーペットを張替え、
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翌日から来館者の皆様にお披露目いたして居ります。最後に掲載した写真
ブログ140430 ⑮
のなかで、いつもと違う情景にお気づきの方もいらっしゃるかもしれません。その「答え」と続きは次回のブログでご紹介いたします。

投稿者:J.T.

花の咲くころに…

春分を過ぎ、花の便りが届きはじめたころ、いくつか訃報も届いてきました。
美術と関わりのあるところでは、ベン・シャーン展の図録のためにインタビューをさせていただいた安西水丸さん。71歳とまだ若く、急なことで本当に驚かされました。89歳の多田美波さんと91歳の朝倉摂さん。お二人は、女性美術家の草分けとして後進に道を開き、今日まで第一線で活躍されていました。訃報には、「とうとう」と「まだまだ」が入り混じる思いがしました。

ここで少し多田美波さんのことに触れます。多田さんの作品は名古屋市美術館の所蔵にはなっていませんが、美術館のある白川公園に近接する若宮大通公園の一角にある彫刻の広場に《時空’ 88》が設置されています。若宮大通公園の真上には名古屋高速道路が走り、公園は高架橋で覆われています。高架橋設置時に公園の再整備が行われ、その折の昭和63(1988)年に彫刻の広場が設けられ、《時空’ 88》もその他の作品とともに新たに設置されました。名古屋市美術館の開館も昭和63(1988)年。美術館の敷地や白川公園に設置された屋外彫刻とともに楽しんでいただけるようにと願われていたものが、今では公園利用法の曲折もあって物置場のような状態になっています。

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図版: 多田美波《時空’ 88》の設置状況 (2014年3月31日 筆者撮影)

美術館の敷地にある作品もケアが行き届いているわけではありませんが、管轄が違うとは言え、胸が痛む思いがします。若宮大通と伏見通が交わる交差点沿い(東側)に《時空’ 88》は設置されています。鑑賞に良い状況ではありませんが、大須へ抜ける途中などにお立ち寄りください。作品が忘れられないでいることが、作家にとって何よりの喜びであろうと思います。

投稿者:み。