あの場所は今:ユトリロが描いた「ノルヴァン通り」

図1

エコール・ド・パリの優品を数多く所蔵する名古屋市美術館。コレクションのきっかけは、愛知県稲沢市出身で、50年以上もパリに滞在し、現地の風景を描き続けた画家・荻須高徳の存在でした。荻須が描いた場所は、稲沢市荻須記念美術館の調査などによって、いくつも特定されています。例えば当館が所蔵する荻須の代表作《洗濯場》が描かれた場所は、パリ市内ではなく、パリの北部に隣接する都市・オーベルヴィリエであることがわかっています。

図2

さて、当館を代表する風景画、モーリス・ユトリロの《ノルヴァン通り》は、パリの道の名前がタイトルになっていますので、場所の特定は難しくありません。ノルヴァン通りは、パリ北部の小高い丘の一帯、モンマルトルにあります。白亜のドームが美しい「サクレ・クール寺院」や、20世紀初頭に若きピカソらが使用した共同アトリエ「バトー・ラヴォワール」、サルバドール・ダリの美術館「エスパス・ダリ」などがある、言わずと知れたパリの観光名所です。ノルヴァン通りはサクレ・クール寺院から西に伸びており、歩みを進めていくと似顔絵描きで賑わう「テルトル広場」に出ます。

図3

スターバックス・テルトル広場店を通過して1分ほど歩くと、ノルヴァン通りはジャン=バティスト・クレマン広場通りに分岐します。この三叉路に立ち、来た道を振り返ると、ユトリロが描いた《ノルヴァン通り》の風景を見ることができます。

図4

図5

ユトリロの絵と実際の風景を比べると、建物はほとんど変わっていないのがわかります。ノルヴァン通りの奥にそびえるサクレ・クール寺院のドームも、ほぼ同じように建物越しに見ることができます。正面に見えるレストラン「ル・コンスラ」(Le Consulat)は現在も営業中。右の建物の一階は、ユトリロの描いた当時はパン屋(Boulangerie)でしたが、現在は黄色い庇が目をひく土産物屋に変わっています。

図6

ユトリロと同じような構図で写真を撮ろうとすると、カメラを高く掲げる必要がありました。ユトリロはモンマルトルの白黒の絵はがきをもとに絵を描くことも多かったと言われており、当館の《ノルヴァン通り》も高い三脚を用いて撮影された写真(の絵はがき)を参考にして描かれたのかもしれません。撮影当日は曇り空、時折小雨の降る天気で、建物も石畳の路面もやや鈍い灰色の印象が強く残りました。ユトリロの《ノルヴァン通り》も曇り空ですが、画面の色調はやや黄味を帯びた白が支配的であり、実際の風景よりも温かみを感じます。ユトリロの風景画は作者自身の孤独や憂愁が投影されている、などと評されることも多いですが、あまり先入観に囚われずに見た方が良いのかもしれない、との思いを強くしました。

 

投稿者:nori

 

 

名古屋市美術館開館30周年記念特別展「モネ それからの100年」開会式

4月24日、名古屋市美術館開館30周年記念特別展「モネ それからの100年」の開会式が行われました。

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開会式には、主催者の名古屋市美術館、中日新聞社、東海テレビ放送及び東海ラジオ放送の関係者をはじめ、展覧会開催にあたって多大な協力をいただきましたマサチューセッツ大学名誉教授のポール・ヘイズ・タッカー様及び光村印刷様にご臨席いただきました。また、本展出品作家の小野耕石様、児玉麻緒様、根岸芳郎様、水野勝規様及び湯浅克俊様にもご臨席いただきました。

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当日は、あいにくの雨にもかかわらず、大変多くの方にご来場いただき、内覧会も賑わいました。

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時代を超えて現代にまでつながるクロード・モネの芸術の深みと広がりを、彼の精神を受け継ぐ現代美術の作家たちの作品と比較することで紹介します。

本展は、名古屋会場と横浜会場の2か所のみの巡回となっておりますので、この機会を逃さず、是非名古屋市美術館に足をお運びください。

 

 

「真島直子 地ごく楽」開会式

3月2日、「真島直子 地ごく楽」の開会式が行われました。

開会式には真島直子氏もお迎えし、作家を中央に囲んでのテープカットとなりました。

開会式

本展では、〈地ごく楽〉シリーズなどの代表作品に初期作品と油彩画の近作を加えて作家の創作の歩みを紹介します。本展は、名古屋市出身の作家にとって郷里で開催されるはじめての大規模個展となります。

作品には、白い大画面に鉛筆のみで描写された「鉛筆画」、多色で鮮烈な印象を与えるオブジェやインスタレーションによる立体作品などがあります。

展示室1

展示室2

展示室3 

3月24日(土)午後2時からは、本展覧会を企画した当館学芸員の解説会を開催します。

定員は先着180名で2階講堂にて無料でご参加いただけます。

みなさまのご参加をお待ちしております。

「真島直子 地ごく楽」は、4月15日(日)まで開催しております。

みなさまお誘い合わせの上、ぜひお越しください!

野外彫刻のひとりごと②

 

我々は、実に薄っぺらい生き物である。

我々を作ったのは、どうも、アンテスという人物らしいが、

一体なぜ、こんなに薄っぺらくしたのだろうか。

我々は薄っぺらいので、林のなかに見え隠れするように存在している。

何人いるか、興味のある人は数えてみるとよいだろう。

林の中で我々に取り囲まれた人は、どんな気持ちになるのだろうか。

一度聞いてみたいものだ。

我々の風貌は、どこか他の天体からやってきた異星人のようにも見えるらしい。

しかし、我々自身も、自分の故郷を知らないのだ。

気が付いたら、この白川公園にいたのだから。

 

アンテス

*ドイツの作家ホルスト・アンテス(1936-  )が白川公園を視察して制作し、1997年に設置された《名古屋のための5つの人体》という作品です。木々の間に見え隠れする人体像は不思議な風貌をしており、私たちの想像力を喚起します。白川公園の南西の林の中に設置されています。

投稿者:AN

展覧会カタログ校正の仕事

 

 展覧会の準備過程における大きな仕事のひとつに、図録作成があります。1冊の図録が完成するまでに、印刷や製本以外にもさまざまな工程を経ます。予算や納期に余裕があれば外部に委託する翻訳や校正などの作業を、諸般の事情から学芸員が担うことも珍しくありません。

 昨年末から年明け1月にかけて、3月初旬から始まる真島直子展の図録の校正作業が続きました。もちろんテキストを執筆した学芸員も校正しますが、仕事の一環とはいえ自分で書いた文章を何度も客観的に見直すのは意外と難しいものです。そこで展覧会サブ担当がまっさらな眼で一字一句確認します。「内容を細かく理解していない人間が校正をして役に立つの?」と思われるでしょうが、実際に図録を手にする来館者と近い視点で文章に目を通し、分かりにくさや助詞の不自然さなどを客観的に指摘してくれる存在は、校正作業に欠かせません。

 誤字脱字に始まり、漢字の変換ミス、送り仮名やルビの過不足、旧字と新字の混用、外国語のスペルミス、表記の揺らぎ、図録に収録される出品リストや年譜などの資料との整合性、文字と文字との間隔や行間、文字のサイズ違い、書体(フォント)の違いなど確認項目は、山のようにあります。これ以上ないというほど丁寧に見たつもりでも、納品されたカタログに漏れや見落としを発見して、凹むこともしばしばです。

 単純に文字だけ追っていては気づけない間違いもあります。別の展覧会でのことですが、図録校正中に出品リストの寸法の欄を見て「輸送トラックに積載可能な大きさを超えている?」と思って確認したところ、0が一つ多かったことがありました。直接見たことのある作品ではなかったのですが、展覧会のメイン担当者から「今回は重量のある立体作品ばかりで、輸送にトラックが何台必要になるか…」との話を何度も聞いており、作品積み込みのイメージが漠然と頭の中にあったことが功を奏したのでしょう。単純な入力ミスとはいえ、後々まで資料として残るものですから、慎重を期すに越したことはありません。

 われわれ学芸員の校正作業は、校閲のプロとは比べものにならないほど甘いものですが、実際に作品を取り扱う立場でしか気づき得ない観点から少しでも役割が果たせるとホッとします。

校正を通して一語一語に向き合い、筆者がどのような意味合いで使っているのか分析するように読むのも楽しいです。そんな呑気なことを言っていられるのも今のうちかもしれませんが…(老視は校正の敵)。

 この原稿がアップされる頃には、図録は制作の最終段階、展覧会の準備もいよいよ迫ってきます。3月3日(土)からの真島直子展、どうぞご期待ください。

 

 

投稿者:3

コレクション解析学

今年の冬は寒い!とくに最近すごく寒いです。東京は大雪で大変そうでしたが、この名古屋にも今夜雪が降るとのこと。しかも、インフルエンザも大流行中。みなさん、くれぐれも暖かくして、お身体ご自愛くださいませ。

さて、21日の日曜日、コレクション解析学を開催しました。

コレクション解析学は、毎年学芸員がコレクションの中から作品を1点選びレクチャーする連続講座です。市民のみなさまに広く収蔵品を知って頂く機会にしたいという企画ですが、学芸員が調査研究をすすめるために、強制的に自らを追い込む企画でもあります(笑)

今年度、わたしが選んだ作品は椎原治の「流氓ユダヤ」というシリーズの写真です。

椎原治

椎原治

流氓ユダヤ-仮睡

1941年

名古屋市美術館蔵

現在、常設展にて、ビンテージプリントの椎原治の作品、田淵銀芳と川崎亀太郎のニュープリント、そして安井仲治の『安井仲治写真集』から、このシリーズの名古屋市美術館で所蔵しているものすべてをご紹介しています。

安井仲治

安井仲治

流氓ユダヤ-三人

『安井仲治写真集』より

これらの作品に写し出されているのは1941年に神戸に滞在していたユダヤ難民の人々です。大阪のアマチュアの写真倶楽部の「丹平写真倶楽部」の有志のメンバーが撮影しました。

1940年7月カウナスの日本領事館の前に、ナチスの迫害を逃れるために、大勢のユダヤ人が「日本通過ビザ」を求めて殺到します。当時リトアニアの在カウナス領事代理だった杉原千畝は本国外務省に大量のビザ発給の可否の伺いを立てるが返答は不許可というものでした。しかし、連日押し寄せる人々を前に、杉原は違反を承知でビザの大量発給を決断。これが今日知られる「命のビザ」になります。このビザを手にしたユダヤ人がヨーロッパからはるか遠くに位置する極東の日本にやってきて、神戸に滞在したのです。「流氓ユダヤ」のシリーズは、写真表現としての作品でありながら、当時の亡命ユダヤ人の存在を証明する貴重なドキュメントでもあります。

ここには、逃避行の旅路の途中にある人々の束の間のリラックスした表情、あるいは友人たちと歓談している姿、物思いにふける様子など、様々な姿が写し出されています。その姿から、流浪の旅人ならではの哀愁や、人が生きるという、人間の力強さなどが感じられます。撮影した写真家たちが彼らと触れて感じた人間的な感情が伝わってくるような作品です。

一方、なぜ、彼らが故国を捨てて亡命しなければならなかったのか、そして、どんな奇跡が重なって亡命することができたのか、当時の社会情勢について歴史を紐解いていくことは歴史を学ぶことであり、同時に今現在わたしたちが直面している出来事をどうとらえ、どう向き合うかということにもつながっていくように思います。

このシリーズをまとめて展示している貴重な機会です。ぜひともご覧ください。(2月18日まで)

展示風景

展示風景2

 

投稿者:hina

野外彫刻のひとりごと①

ぼくは、野兎。

フラナガンという人がぼくを作ったんだ。

ぼくは、名古屋市美術館がある白川公園の入り口のところに居る。

こんな風に、伸びをして、爪のあるボールの上に立ってバランスをとっているんだ。

ぼくの前を、いつも、いろんな人が通る。

「ポケモン・ゴー」が始まった時には、ぼくの前をすごく沢山の人がスマホを見ながら歩いてた。あの時は、びっくりしたなあ。

でも、ぼくの存在にいったいどのくらいの人が気づいてくれてるんだろう、と、時々考えるんだ。

気づかないで素通りしてしまう人も多いみたい。ちょっと残念だな。

今日は、ぼくの前脚にお客さんが来てくれた。

写真を見て、わかるかな?

烏が一羽、しばらくの間とまっててくれたんだ。

ぼくは、なんとなく嬉しかったな。

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*この作品は、イギリスの作家バリー・フラナガンの《ボールをつかむ爪の上の野兎》(1989-90年、ブロンズ)です。白川公園の北西の角に近い位置に設置されています。フラナガンは野兎をテーマとした作品で知られており、現在、当館の常設展示室3で開催中の「特集:二次元・三次元」でもフラナガンの《三日月と釣鐘の上を跳ぶ野ウサギ》を展示しています。(2018年2月18日まで)

 

投稿者:AN

常設展から―郷土の美術 斎藤譲コレクションによる北川民次の版画

 ただいま常設展示室2では、郷土の画家北川民次による版画を展示・紹介しております。【図1】【図2】

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【図2】

北川民次(1894-1989)は、生涯に340点を超える版画を制作しました。彼が初めて版画制作を手掛けたのは、1925年6月にメキシコ、トラルパムの野外美術学校に助手として赴任した時に遡ります。当時同校の校長であったフランシスコ・ディアス・デ・レオンは、民次に木口木版の技法を教え、また、彼らは技法書を紐解きながら、銅版画の制作にも当たりました。

1936(昭和11)年、タスコの野外美術学校を閉鎖、帰国した北川民次は、妻の実家があった瀬戸に滞在し、翌1937(昭和12)年には、リノリウム版11点による版画作品《瀬戸十景》を制作しています。大胆な刻線と、黒と白の対比と反転によって「焼き物」のまち・瀬戸の情景を表現した連作は、日本の近代版画のなかでも高く評価されています。【図3】

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【図3】

 戦後、北川民次は銅版画や石版画(リトグラフ)を精力的に手掛けています。その契機となったのが、美術評論家の久保貞次郎との「共同作業」でした。児童美術教育運動を推進していた久保は、画家たちに版画制作を薦め、絵本や詩画集等を出版しました。戦後の混乱と貧困を経て、人々の生活に少しの余裕が出てきたこの時期、部屋に飾る手軽な美術として、版画が流通するようになりました。1957(昭和32)年には〈東京国際版画ビエンナーレ〉が開幕し、また〈美術出版社〉が「版画友の会」を設立し頒布を始めると、画家たちの間でリトグラフの制作が盛んに行われました。

そうしたなかで、北川民次は「母子像」と「花」で愛好者を増やし、1968(昭和43)年には10点による「花と母子像」【図4】【図5】という題名の版画集を刊行しています。

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【図4】

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【図5】

 美術評論家であり、パトロンでもあった久保は1967年、毎日新聞に『国立性芸術図書館』と題した一文を寄稿しています。「政府の市民の言論表現の自由に対する抑圧的態度を揶揄(やゆ)して国立の図書館が、エロティカを蒐集し、公開すべきだ」と主張する久保に賛同した画家たちは、「国立がそれを始めるまで、お前のコレクションにと、いろいろなエロティカを寄贈してくれた」そうです。靉嘔(あいおう)の《レインボー北斎》もその一点だったということです。この時民次は、7点のエッチングを制作しています。【図6】

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 今回の展示では、斎藤譲氏からご寄贈いただいた版画作品で北川民次の制作の全貌を辿ります。

同氏は1958(昭和33)年、〈株式会社日動画廊〉に就職、画商としてそのキャリアをスタートされました。1971(昭和46)年に名古屋に赴任された後は、鬼頭鍋三郎や伊藤廉、鴨居玲といった画家たちの作品を紹介されて来られました。

北川民次については、1977(昭和52)年に『北川民次版画全集1928-1977』【図7】を編集・出版されるなど、その作品の収集と普及に尽力されました。

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【図7】

 貴重な作品を寄贈いただきました斎藤譲氏ご夫妻に厚く御礼申し上げます。12月3日(日)までの展示となります。どうぞお見逃しなく。[J.T.]

投稿者:J.T.

ランス美術館展:初の試み

ランス美術館展の会期もいよいよあと2週間となりました。

本展では、当館で初の試みとなる関連催事を数多く実施しましたので、まだ会期途中ですが、振り返ってみたいと思います。

1 出張講演会(8/22・8/30)

改修工事のための臨時休館中に、学芸員が市科学館と市博物館へ出張して、ランス市の魅力を歴史と文化の両面からわかりやすく解説する講演会を実施しました。暑い中たくさんの方にご参加いただきました。

 

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2 教員向け「作品解説会」(10/13)

団体鑑賞のきっかけにしていだくために、教員のみなさまを対象とした作品解説を実施しました。

 

3 会場内演劇「マラー巡礼:美術と視覚をめぐる物語」(10/20・21)

10月20日の名古屋市とランス市の姉妹都市提携の調印を記念して、ランス市から演出家エヴァ・クラスカさんを招き、当館職員を含む日本人役者を起用し、会場内にて演劇を実施しました。。21日はランス市長さんもご観覧いただきました。

当日の映像は以下のサイトでご覧いただけます。

http://www.chunichi.co.jp/article/movie/list2/ZZ2017102601009403.html

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4 クラシックの夕べ(10/28)

閉館後の展示室内でセントラル愛知交響楽団の木管五重奏と学芸員の作品解説が楽しめる特別鑑賞会「クラシックの夕べ」を実施しました。名画を鑑賞しながら生演奏が聴けるというゆったりぜいたくな時間を満喫していただきました。

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5 名画の夕べ(11/11)

閉館後の展示室内で学芸員が作品解説を行う「名画の夕べ」を実施しました。参加者の皆様は深谷副館長と美術談義をしながら、ゆっくり鑑賞されていました。

 

6 休館日のベビーカーツアー(11/13)

普段美術館に来るのを遠慮しているかもしれない子育て中の方を対象とした「休館日のベビーカーツアー」を実施しました。休館日の美術館で学芸員の解説を聞きながら、ゆっくり気兼ねなく鑑賞していただきました。普段展示室ではあまり聞かないお子様の声を聞いて、関係者一同ほっこりした気分になりました。

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7 シャンパーニュの夕べ(11/18)

閉館後の展示室内で学芸員の作品解説を聞いた後に、シャンパンと軽食を楽しんでいただく「シャンパーニュの夕べ」を実施しました。ランス美術館展にご協力をいただいてるG.H.マム社のシャンパン「コルドン・ルージュ」が大変好評でした。

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ランス美術館展は12月3日までです。まだ観てない方やもう一度観たいという方もお見逃しなく。

ここまで凝ったフォトスポットも初の試みかもしれません。

 

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台風一過

台風21号にかかわる非常配備で10月22日(日)の夜から23日(月)の朝まで美術館で過ごすことになりました。特別展に出品する海外からの借用作品の受け入れのため、夜半から早朝まで美術館で待機したこともありますが、日付を跨いで長い時間を夜の美術館で過ごすのは久しぶりのことです。

10月21日(土)と22日(日)は名古屋まつりの実施日にあたり、多くのみなさまが楽しみにしておられたことと思いますが、英傑行列をはじめ多くの催事が中止になりました。名古屋市美術館でも関連事業として22日は常設展利用が無料となるため、ボランティアが通常のギャラリートークに加えて特別企画を用意していましたが、例年ほどにはお客様に利用していただくことはできませんでした。22日は衆議院議員選挙日でもあり、何かと落ち着かない週末だったように思います。

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写真は、23日(月)の早朝に撮影したものです。
警報がまだ出ているにもかかわらず、雨が上がり日差しが見えはじめた頃から犬の散歩やジョギングをする方の姿が白川公園に見られるようになりました。
写真の作品は、美術館の建物の正面に設置されているコールダ―の《ファブニール・ドラゴン II》です。「あれ、いつもと違うぞ」と思われた方があるかもしれません。

風を受けてくるくる回る頭の部分がなくなっています。
台風の風で激しく回転したり、煽られて飛ばされて周りの人を傷つけないよう、あらかじめ頭の部分を外しています。これは作品を守るためでもあります。
一年のうちに何度かこうした状態になります。
この度の台風では雨の降りはじめた21日(土)の朝に取り外す作業を行いました。

台風の折に美術館を訪れる方は多くはないと思います。
頭のないドラゴンをご覧になったことがある方も多くはないと思い、復旧前の姿をご紹介しました。

樹木の枝が折れたりしましたが、美術館には目立った被害はありませんでした。この後、各所で被害の状況が明らかになってくることでしょう。大きな被害のないことを願うばかりです。

投稿者:み。