文楽

「文楽ってなに?」と思う人は多いと思います。

「人形浄瑠璃」と言うと「あっ、それなら」と思う人はいるかもしれません。私がそうでした。上方の人形浄瑠璃を文楽と言うそうで、世界無形文化遺産にも登録されていて、人形劇として高い評価をされているとのこと。

今開かれている「上村松園展」の中に、文楽を題材にして描いた作品が数点あることをご縁に人形遣い三人が名古屋市美術館に来てくれました。

5月1日午後、昨日の雨もすっかり上がり、好天の中、美術館のサンクンガーデンで、初めて文楽の人形に会いました。

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150人の観客のなか、私はちょっと離れた位置にいたので、細かい細工は見えませんでしたが、目の動き、眉の動き、肩の動き、首の動きが、普通の人間以上に喜怒哀楽を表現していて、そこに小さな人間がいるようでした。

一体の人形を三人の人形遣いが動かします。身体と右手と頭の部分を受け持つ主遣い(おもづかい)の人、足の動きを受け持つ足遣い(あしづかい)の人、左手を受け持つ左遣い(ひだりづかい)の人の三人です。三人の息が合わないときれいな動きがとれないそうです。ほんの少しでしたが「二人三番叟(ににんさんばそう)」という、五穀豊穣を祈願する神事に由来する舞の一部を演じてくれました。テンポの良いお囃子や義太夫の掛け声をバックに、人形の、扇をふる姿や、手の上げ下げ、ダイナミックな足さばきは、楽しくもあり、少しこっけいでもありで、なかなか見ごたえがありました。

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松園は、文楽に興味を持っていたとのこと。わずかな時間ではありましたが今回文楽に触れたことで松園の作品の楽しみ方が増えたような気がします。

 

投稿者:M.

上村松園展開会式

4月19日、名古屋市美術館開館25周年記念 上村松園展の開会式が行われました。

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上村松園は、数々の偏見や試練に立ち向かいながら独自の芸術を育み、女性で初となる文化勲章を受章するなど日本画壇を代表する画家の一人として輝かしい成功を収めました。

本展覧会では、困難に立ち向かいながらも変わらぬ姿勢を貫いた松園の生き方に焦点を当てて作品を紹介しています。

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皆様も実際にご覧いただき、松園の生き方や作品にふれてみてはいかがでしょうか。

 

なお、本展覧会は前期と後期とに分かれ、会期中に作品の展示替えを行います。

(前期:4月20日(土)~5月12日(日) 後期:5月14日(火)~6月2日(日))

前後期あわせて約90点の名品の数々を心ゆくまでご堪能ください。

 

美術館と「今でしょ!」

「美術館の人は、展覧会以外にどんな仕事があるの?」とよく聞かれます。
例を挙げればキリがないのですが、予告なく飛び込んでくる仕事のひとつに美術作品や画家、作家に関する問合せの電話があります。

先日も東京の某テレビ局から電話があり、
「林雲鳳(はやし・うんぽう)という画家について知りたいのですが、ご存知のことを教えていただけないでしょうか?」と尋ねられました。
林雲鳳(1899-1989)は、現在の岐阜県土岐市出身で、歴史に題材を得た作品を多く残している日本画家です。
当館でも3点ほど作品を所蔵しているので、名前を聞いて「あぁ」とすぐにピンと来ました。
しかし、一般的にそれほど知られている方ではなく、はて、一体どんな番組で調べているのかと思い、尋ねたところ、
「番組に林修(はやし・おさむ)さんをお招きして、インタビューを放送するのですが、祖父にあたる方が日本画家の林雲鳳さんと聞き、情報を集めているところなのです」とのこと。

…最初は「??」だったのですが、出演されているCMの決めゼリフ「今でしょ!」の一言で人気を集めている予備校の有名講師の方と分かり、「えぇーっ?!」
まさか、時の人と自分の勤め先がこんな接点でつながるとは…。

放送日が迫っているということで、取り急ぎ、先方が必要とされている情報を聞き出し、美術館にある文献資料から画家の経歴などを提供して仕事自体はつつがなく終わったのですが、気になって後日番組を見てみました。

画家のアトリエでの制作の様子が写真で映し出されたほか、孫として同じ絵の道には進むことはなかった(ご本人曰く「絵の才能がないことは幼稚園時代にハッキリした」)ものの、可愛がってくれた祖父の影響で歴史が好きになり、小学校の頃は歴史の本ばかり夢中になって読んでいた、などのエピソードが紹介されていました。
現在のお仕事につながる、勉強が好きになったきっかけもその頃の体験にあったようです。

“芸術家”と聞くと、自分たちとは接点のない別世界に住んでいる人という勝手なイメージを抱きがちですが、決してそうではなく、私たちと同じように大切な家族がいて、生活を営んでいて、そういう血の通った生身の人間が、美術作品を生み出している。
ごく当たり前のことですが、美術館が守り伝えている作品は、そのような人間のリアルな営みの中にあるものだと思うと、単なる研究対象の資料としての見方とはまた違った捉え方ができるなぁ、と感じました。

年度の変わり目のせわしない毎日ですが、こういう小さな発見を楽しみながら仕事をしています。

投稿者:3

“常設展示室 壁の色を替えました。” -15年ぶりの会話-

A.名古屋市美術館が休館してるんだって。知ってた?

B.名古屋市美術館のブログを読んでいるから知っているよ。

A.休館中、学芸員さんたちは何をしてるんだろうね?

B.それもブログに書いてあったよ。展覧会等の準備とかなんだろうね。そうそう図書室と常設展示室が新しくなるそうだよ。

A.新しくなるって?

B.図書室は書棚を増やして、常設展示室は壁の色を塗り替えたそうだよ。

A.へーっ。そうなんだぁ。壁の色を塗り替えるって、美術館の壁は白じゃないの?

B.名古屋市美術館の常設展示は、四つの収集方針に分けて展示し、それぞれの分野で壁面には異なる色彩が塗られているんだよ。

B.えっ?!それいつからなの?

A.もう、かれこれ15年にもなるんだよ。

B. えっ?!そんな前から? 私、名古屋市美術館には行ったことあるけど、特別展を見るだけで結構疲れてしまって、常設展はご無沙汰だわ。まぁ、いつでも観れるしね。

A.それは言えるね。ただ、地下の常設展では、本当に好きな作品をじっくりと見れるからね。また、解説ボランティアの人たちによる丁寧で軽妙な語り口も評判だよ。まぁ、それはそうとして壁の色だよ。

B.あっ、そうそう。

A.空調工事による休館を利用して、地下一階の常設展示室の壁面の色を一新したんだって。これまでモディリアーニの《おさげ髪の少女》が展示されているエコール・ド・パリのコーナーは赤茶色、ディエゴ・リベラの壁画《プロレタリアの団結》が展示されているメキシコは深い緑色、そして郷土の美術や版画や写真といったグラフィックなものを展示紹介していた常設展示室2は壁面が青く塗られていたんだよ。今回、学芸員さん全員で色見本を元にサンプルまで作らせて、壁の色を検討し決めたんだって。

B.それでどんな色になったのかしら?

A.エコール・ド・パリがDIC-N939《ぶどう酒色》で、メキシコのコーナーがDIC-F206《オリーヴ》で、常設展示室2はDIC-C135《中棕灰》になったそうだよ。

B. 作品に合うかどうか楽しみね。開館が待ち遠しいわね。それにしても結構くわしいのね。

A.まぁ、それほどでもないけどね。実は、15年前に壁の色を塗ったときにも、僕の会話が名古屋市美術館のニュース『アートペーパー』34号に載ったんだ。

投稿者:J.T.

名古屋市美術館臨時休館中!

名古屋市美術館は、ただいま空調工事のため長期臨時休館中。3月15日(金)まで、お休みとなります。

さて、私たち学芸員は、この長期休館中に何をしているでしょうか?

美術館が開いていなくても、学芸員室ではいろいろな仕事をしています。これからの展覧会や教育普及関係の準備をしたり、新しい企画を練ったりという仕事もありますし、その他の細々とした仕事ももちろんあります。

開館以来二十数年の間に溜まりに溜まった図書資料をどうするか、頭を悩ませていましたが、この機会に図書室に書棚を大幅に増やして整理しようということになりました。それに伴い、図書室でずっと活躍してくれた古いビデオブースは、撤去されるということに・・・。

それから、汚れたり色あせたり、穴が開いたりしていた常設展示室の壁も、綺麗に塗りなおすことになりました。そして、各コーナーの壁の色を一新する予定です。今回のリニューアルは空調工事が主なので、あまり美術館の外観が変わるということはなく、来館する皆様にリニューアルを実感していただける部分は少ないのですが、この、常設展の壁の色のリニューアル、ぜひ、注目してください。乞うご期待です!

3月16日(土)からは、常設展が始まります。少し新しくなった美術館に、ぜひご来館ください!

 

投稿者:akko

青木野枝展終了+名古屋のワークショップ

昨年末に会期終了を迎えた「青木野枝|ふりそそぐものたち」展。名古屋と豊田はもとより、全国からたくさんのみなさまにご来場いただきました。

クリスマスをはさみ仕事納めを過ぎてもつづいた撤収搬出作業は、正月休みで一息ついたあと、場所を作家のアトリエと倉庫に移しての搬入作業となりました。10トン車4台に4トン車2台の物量は、搬出と同じく数日を要しましたが、ようやくすべての作業を終えることができました。

青木展では名古屋か豊田のどちらかでほぼ毎週のように催事を行っていましたが、当館を会場とした中学生以上を対象とするワークショップについて、どんな様子だったか知りたいというお声がありましたので、遅ればせながらご紹介します。

晴れていれば屋外で遠巻きに見学していただけましたが、当日はお天気が悪く、屋内での実施となりました。見学を希望されていたみなさま、ご期待に添えず申し訳ありませんでした。

ワークショップは11月17日(土)と18日(日)に二日にわたって行いました。当日に欠席連絡をいただいた1名を除く、4.5倍の応募者から抽選で選ばれた11名にご参加いただきました。

青木さんのお話を聞き、作業開始。作りたいものがあるときはそれを、そうでないときは「自分のいたい場所」を作ります。構想を練り、紙にメモしたあと、厚さ4ミリ、45センチ四方の鉄板に切り出すパーツを下書きします。

下書きしたパーツを青木さんに教わりながら溶断で切り出しています。

切っている途中。熱を帯びる鉄がきれいです。

切り終えたところ。赤い作業用の皮手袋は青木さんの手。熱いのでペンチの柄でパーツを叩いて下に落とします。落ちたパーツはペンチではさみ、安全のため水を張ったたらいに入れて冷やします。

切り出したパーツをメモに置き、イメージを確かめています。

慣れたらひとりで溶断。ガスの量も自分で調節します。青木さんのアシスタントが見守ります。

溶接も慣れたら自分でします。完成までもうすぐです。

みなさんの作品の一部です。作業の様子をご紹介したおふたりの作品がどれか分かるでしょうか。

おおらかに描く子どもより手が自由に動く大人は、細やかにパーツの線を描くようです。細やかな分、溶断に時間がかかりましたが、できあがった作品も繊細で個性にあふれるものになりました。何をどんな思いで作り、それをどう感じたか、みなで最後に鑑賞会をしてワークショップを締めくくりました。

みなさん4キロ弱の重さのある自作を持ち帰られましたが、遠くは東京からのご参加。新幹線に持ち込んでのご帰宅でした。

今回のワークショップで、大人もこのような企画を求めていることがあらためて分かりました。定番の子ども向けだけでなく、これからも機会をとらえて大人に向けた企画を提供したいと思っています。みなさまお見逃しなきようご参加ください。

投稿者:み。

となりは何をする人ぞ

あけましておめでとうございます。

お正月休みも終わり、皆さん「あ~ぁ」と思いながら通勤・通学を再開された頃でしょうか。

美術館は1月4日から6日まで3日間、常設展だけではありますが、開館してお客様をお迎えしました。7日(月)からは空調工事のための臨時休館に入っています。

同じ白川公園の中にある科学館は、冬休み中も朝から長蛇の列。リニューアルオープンから間もなく2年が経ちますが、土日や長期休暇はプラネタリウムを目当てに、まだまだ遠方から多くの方がいらっしゃるようです。

先日、“10時現在プラネタリウムチケット待ちの列は解消されております”の文字に釣られて、リニューアル後初めてプラネタリウムを見に行ってきました。

最後に見たのはいつだったか、とにかく久しぶりのことで期待に胸膨らませて行ったのですが、見終わって思ったことは「そうそう、プラネタリウムってこんな感じだったな。でも…そこまで騒ぐほどのことじゃないような。」

というのも、幼稚園の遠足で初めて足を運んでから、名古屋市科学館に何度行ったか分かりません。小学6年生の時は友人と天文クラブにも入会して、指定された日曜日に例会と呼ばれる会員向けのプラネタリウムのプログラムにも欠かさず参加していました。ドームの大きさ、映し出される星空の美しさ、学芸員のナマ解説の面白さにどっぷり浸かっていた時期があります。

つまり「科学館ってこういうもの」のデフォルト(初期設定)が、私にとっては名古屋市科学館そのものであり、馴染みがあるからこそ上記のような感想になったのです。

大人になってから、学芸員がナマで解説してくれるプラネタリウムは全国的に珍しいことを知りました。当たり前のように享受していたけれど名古屋のこどもはとても恵まれている(いた)のだな、と気づくと、全国各地からわざわざプラネタリウムを見に来る方が多いのもうなずけます。

そうして新しいプラネタリウムの内容を振り返ってみると、こどもの頃の記憶に負けていなかったな、と思えてきました。

時間が経てば経つほど、楽しかった思い出は美化され、理想化されます。以前と同じように事業を展開しているだけでは不十分で、常に上を目指していないと、来館者から「前の方が面白かった」とガッカリされてしまいます。記憶に負けないクオリティを保つことは並大抵のことではないのです。月日とともに働いている人も変わる/換わる訳ですから、なおさらですね。

扱うテーマは違っていても、見習うべき活動をしている博物館施設が近くにあるのはとても有難いことです。年頭にいい刺激をもらったな、と思いました。

投稿者:3

「岡崎アート&ジャズ2012」を見てきました!

現在名古屋市美術館では、「青木野枝展」を開催していますが、その青木野枝さんは、来年あいちで開催される「あいちトリエンナーレ2013」の出品作家でもいらっしゃいます。今回は、美術館の空間を生かした素晴らしいインスタレーションを展開してくださっていますが、トリエンナーレでは、美術館での個展とはまた違った側面が見られるのではないかと期待が膨らみ、今から楽しみにしているところです。

いよいよ次回の開催が来年に迫ってきた「あいちトリエンナーレ2013」ですが、そろそろ来年の開催に向けてあちこちで様々な催しが見られるようになってきました。つい先日ですが、あいちトリエンナーレ地域展開事業として開催された「岡崎アート&ジャズ2012」に行ってきました。「アートとジャズで町を巡る体験」ということで、岡崎の中心市街地の各所を会場に現代美術作品の展示やジャズイベントが開催されていました。平日にお伺いした私は、街なかに展開された現代美術の展示を見てきました。

岡崎アート&ジャズ2012
あいちトリエンナーレ地域展開事業 あいちアートプログラム
「岡崎アート&ジャズ2012」平成24年11月1日(木)~12月2日(日)
http://okzartjazz.com/

作品は、町の中心部数箇所と旧本多忠次邸に展示され、それと関連企画で岡崎市美術博物館でも現代美術の展覧会が開催されていました。

あいちトリエンナーレ地域展開事業
「岡崎アート&ジャズ2012」連携企画
光 陰 ―ひかり、かげ、とき―
2012年11月3日(土・祝)~2013年1月13日(日)
http://www.city.okazaki.aichi.jp/museum/bihaku/exhibition/exhibition.html

さて、今日は街なかに展開された「岡崎アート&ジャズ2012」についてご紹介したいと思います。

旧本多忠次邸は、昭和初期に建てられ、近年岡崎市の東公園内に移築復元されたモダンな建物です。

この中で、建築や調度品に合わせて山本一弥さん、木藤純子さん、小柳裕さんの3人が展示していました。寝室などを使った木藤さんの作品は、窓ガラスから差し込む青い光と百合の花の匂いで、幻想的な空間を作り出していました。館内には、当時の持ち主が好んで聴いていた音楽も流され、とてもレトロな雰囲気で、時空を越えてここに住んでいた人の時間と空間が、私たちの時間と空間と交錯するような不思議でいてとても素敵な空間となっていました。


木藤純子《本多忠次邸のためのインスタレーション》(部分)2012年

また、市街地中心部の展示会場のシビコというショッピングセンターでは、6組の作家が展示していました。中でもとても興味深かったのは、D.D.というアーティストユニットの作品です。


D.D.(今村哲+染谷亜里可+映像:出原次朗)《半熟卵の構造》2012年

このユニットは、名古屋市美術館でもお馴染みの作家さん、今村哲さん(第2回ポジション展出品作家)と染谷亜里可さん(第3回ポジション展出品作家)が中心となって結成されたアーティストユニットです。実は私は昨年、同ユニット作の体験型インスタレーションを栄にある愛知県立芸術大学サテライトギャラリーでの展示を拝見(体験)して、とても興味を持っていました。体験型インスタレーションは巨大な空間装置で、中に入るとどこか物語の世界の中に紛れ込んでしまったような感じで、お化け屋敷のようと言っては失礼ですが、先に何が起こるのか全く分からず、どきどきしながら進んでいくのです。それぞれの体験は一過性で、まるで演劇世界を体感する装置のようなとても不思議な作品でした。


作品入り口

今回の作品では、来館者は布と布の間の、とても人が入っていくようには見えない空間の中をぬって巨大な迷路を体験します。入れそうにもないような場所をもどかしい動きをしながら進んでいくと、知らず知らずのうちに別の空間にたどりつき、進んでは戻り、また道を探すという行為を繰り返しながら、様々な空間に出会うと同時に不思議なオブジェや映像空間を体験していくというものでした。展示場で手渡された『作品鑑賞の手引き』によると、「壁抜け」「川渡り」「5階立て」という3つの構造体から成り立っているとのことです。


「川渡り」のところ

もぞもぞしながら、なかなか前に進めないもどかしさを感じつつも、なんとか道を見つけることができました。何度か同じところに出たりもしましたが、不思議とどこかに道が開けてくるようになっていて、本当によく考えられています。ただ、問題は季節柄、毛糸のものを身につけているために静電気が激しかったことです(笑)。とはいえ、このようなほかではどこにも見たことのない(体験したことのない)作品は衝撃的で、すいすい進めないもどかしさ、異空間に紛れ込んでしまい出られなくなってしまったように思えて来て感じた焦燥感や不安感、そして通り抜けることができた時の開放感など、短い時間に壮大な物語を体験するように様々な感情の展開を体験するという、なんと言うかトータルな感覚(ちょっと変な表現ですが、、、。)を味わえます。とにかく、まだまだこのユニットの作品を見て(体験して)みたいです!

ほかにも、シビコ屋上には前回のトリエンナーレでも大活躍していた木村崇人さん、浅井裕介さんの作品を目にすることができましたし、またインフォメーションセンターでは、前回のトリエンナーレでゆるキャラのLOVEちくんで一躍大ブレイクした斉と公平太さんが岡崎にちなんだ「オカザえもん」というキャラクターを制作、グッズを販売していました。前回のあいちトリエンナーレを思い出し、少し懐かしい気持ちとともに、それぞれの作家さんのご活躍ぶりにうれしくなりました。これからも応援して行きたいです。


斉と公平太《オカザえもん》2012

ところで、各展示場所では、トリエンナーレの時のように案内監視のボランティアさんが活躍していました。このような街なかを会場とした展示では、美術館とは違い、どこに作品があるのか分からないといったことや道に迷ったりしてしまうこともあります。実を言うと「岡崎Art & Jazz」では、表示はとても分かりやすかったのですが、それでも初めて行った場所だったので、入り口が分からず少しうろうろしてしまったり、作品の位置がすぐには分からず見逃しそうになったりしてしまいました。そういった時にボランティアさんが声をかけてくださると、「ああ、ここだったのか」と分かるし、ボランティアさんとのコミュニケーションもとても楽しいものです。ずっと作品の近くにいらっしゃるので、作品の見どころ、楽しみ方をいろいろ教えてくださったりもします。

岡崎城の東隅櫓の中に展示されていた平田五郎さんの作品は、蝋で作られた巨大な箱で、観客はその瞑想的な空間に入ることもできるというもので、とても美しい作品だったのですが、そこにいらっしゃったボランティアさんによれば、私が訪れた曇りの日よりも晴れた日のほうが、外からの光が透けて見えてもっと美しいのだそうです。


平田五郎《Mind Space 箱の中の箱の中の箱の中の箱の中の箱の中の箱の中の箱の中の箱の中の箱の中の箱の中に、白く輝くまるい月があった》2012年

展示場所でのボランティアさんとの会話を通じて改めて、見る人を魅了していく現代美術の作品というのはとても不思議な存在だなあと思いました。制作するのには、作品によっては莫大な材料費と膨大な時間がかかり、展示した後も、お客さんに見られなければならない、そのためには、チラシやポスターなどを作って広報をしたり、展示場所では作品を守る人が必要だったり、作家のアイディアから始まった作品は、展示という形になるまでに、本当に多くの様々な人の手がかけられています。

「これまで現代美術なんて分からないし、見たこともなかったのだけど、これはインスタレーションと言うらしくて、これは空間そのものを作品として提示している作家さんの作品なのですよ。この作品のここがとても素敵だなあと思うので、ぜひ、見ていってください」といった風に、声をかけてくださるボランティアさんの様子を見ていると、作品とともにいることで作品に愛着を深めていらっしゃることがよくわかります。作られた作品、作った人のアイディア、理想、作るために費やされたエネルギーに感嘆し、敬意を持ち、その作品を守り伝えていこうとしていらっしゃるのだなあと思います。

前回のトリエンナーレの時もそうでしたが、このような街なかでのプロジェクトの多くで、それまで現代美術には興味がなかったという人々が、作品や作家と関わることで現代美術に対する考えが変わったということをよく聞きます。

以前、越後妻有トリエンナーレなどの総合ディレクターを務めていらっしゃる北川フラムさんの講演会を聞きに行ったことがあります。その時に「現代美術は赤ちゃんと一緒なんだ。赤ちゃんはみんなが手をかけてあやしてお守りをしていかなければならない。でも、赤ちゃんは自身の成長とともに、育てている周りの人も成長させていく。現代美術もそれと同じで、人をつなげることができる、アートを通じてコミュニティは成長していくことができる」といったお話をされていました。当時、それを聞いた私は「なるほど~」と、ひどく感動したのですが、このお話を思い出して北川さんの本を読み返していたら、次のように書いていらっしゃいました。

「二〇〇六年の芸術祭で、僕は毎日ほとんどツアーガイドをしていたが、解説をしながら「これは赤ちゃんと同じではないか」と思うようになった。面倒、やっかい、うるさい、言うことを聞かない、生産性がない、まさにそれ自身としてはどうしようもない、ほうっておけば壊れてしまう。それをお婆ちゃんや隣近所のおばさんが来て、「そんなもんだよ、私が見ててやるから。少し休んでいなよ」なんて言ってカリカリしてテンパっている母親を慰めたりしている。そんな情景が思わず浮かんできた。そうこうしているうちに周囲のものが仲良くなってくるのである。美術は生理の発現であるが故に無垢なのだ。そして面白い。(中略)手のかかる赤ん坊は人を呼ぶ力をもっている。」(北川フラム『大地の芸術祭』角川学芸出版2010年P.67)

現代美術の展示を通じて、その町の人の何かが変わっていくということ、前回のトリエンナーレを体験した私も、特に会場となった長者町で、その変化の雰囲気を肌で感じました。実際には、その変化というものは、何年も何十年もずっと続いていって初めて、町の変化としてそれはどういうことだったのかということが少し目に見えてくる、そういうものなのかもしれません。でも、トリエンナーレの時に、その変化の兆しのようなものを確かに感じたのでした。

北川さんの言うように、美術は生理の発現であるが故に無垢であり、そしてエネルギーに満ちているのだと思います。究極的には、その赤ちゃんのような創造力のエネルギーに感嘆し、敬意を払い、人の創造力を大切にすることを通じてそれぞれの人を大切にするということが、私たち人間が持ちうる「文化」ということなのかなあとも思います。

12月1日には岡崎市図書館交流プラザで、トリエンナーレスクールの一環でその北川フラムさんのレクチャーが開催されていたようです。残念ながら、私はお話を聞きに行くことができませんでしたが、機会があれば、ぜひまたお話をお聞きしたいです。

ところで、名古屋市美術館も開館して、もうすぐ25周年を迎えます。毎年入場者数の獲得に悩んでいるとはいえ、それでも、1年に数十万人の来館者の皆様をお迎えしています。微力ではあるとは思いますが、この名古屋の町で名古屋の人々に何がしかの「文化の灯」をつなげるお手伝いが出来ているといいなあ、いや、そういう活動を続けていけるように頑張らなければいけないと思う今日この頃なのでした。

写真撮影:尾野訓大

投稿者:hina

《死の仮面を被った少女》と子どもたち

学校団体で小学生が来館したとき、フリーダ・カーロの《死の仮面を被った少女》は、なかなかの人気です。

一見怖い絵なんですが、子どもは惹きつけられるものがあるようです。自分たちと同じように、子どもを描いた絵であるというのも、ひとつの要因でしょう。

この作品は、カーロが若い時に遭った事故の後遺症が原因で生まれて来なかった女の子を描いたもので、手に持っている花は天国にいる女の子が戻って来れるよう道案内する花、足元の虎の仮面は、魔よけなんだよ、というお話をすると、怖いという印象よりも、可哀想とか切ないといった印象の方が強くなるようです。

ハガキ大ほどの小さな小さなこの作品が、子どもたちにいろいろなことを考えさせ、強い印象を残すことは、不思議でもあり、芸術作品の凄さでもあるなあと思います。

この絵は特別な貸し出しの時以外は、大体いつでも名古屋市美術館の常設展に飾られています。ぜひ、来館して実際にご覧ください。

※常設展は1/6(日)まで開催中です(12/29~1/3は休館)。
その後、館内空調工事のため、1/7(月)~3/15(金)の間、休館させていただきます。
リニューアルオープンは3/16(土)~となります。
ご迷惑をおかけいたしますが、ご理解とご協力をよろしくお願いいたします。

投稿者:akko

“さようなら、ペヴスナー。”

名古屋市美術館の常設展示室で展示・紹介している作品は、基本的には当館の所蔵品ですが、なかには個人や企業が所蔵する美術作品も含まれています。個人の方がご所蔵され、それでもご自身一人で鑑賞するだけではなく、市民の皆様にも見ていただきたい(あるいは見せたい)という意思をお持ちの方には、「美術館の万全の環境でお預かりいたします。その代わり常設展示室で展示させていただきます。」という条件で作品を収蔵しています(勿論、美術館の常設展示室で展示・紹介するにふさわしい優れた作品かどうかという審査がありますが)。この制度を「寄託制度」と呼び、当館では二年更新で保管・展示をしています。購入や寄贈によって収蔵された作品は、名古屋市の財産として永久所蔵となるわけですが、寄託作品は、ある日突然所蔵者の手許に引き取られることもあります。


アントワーヌ・ペヴスナー《コンポジション》

今年の夏、常設展示室で展示されていたアントワーヌ・ペヴスナー《コンポジション》も寄託作品の一点でした。すでに三期五年にも亘ってご寄託いただいていたのですが、所蔵家からの申し出を受け、去る10月1日を以て寄託を解除、その後海外の個人所蔵となったようです。貴重な作品でもあり、誠に残念ではありますが、“泣く泣く”ご返却申し上げた次第です。

『アート・ペーパー』87号(2011年秋号)で紹介しましたとおり、同作品はキュビスムが平面から立体、さらには空間へと大きく展開した時期に制作されました。当館では、キュビスムによる作品をさほど多くは所蔵していないのですが、それでも、キスリングの《静物》(1913年)やローランサンの《サーカスにて》(c.1913年)、あるいはディエゴ・リベラのパリ留学時代の秀作《スペイン風景(トレド)》(1913年)、さらにはザツキンの彫刻作品《扇を持つ女》(1923年)等の所蔵作品と並べて展示すると、ペヴスナーの作品はキュビスムが模索した構図と構成の実験とその成果を比較・対照できる、絶好の、そして筆者にとって“お気に入り”の一点でもありました。さらに、この作品には表現ばかりでなく、もう一つ大きな“魅力”がありました。その裏面には一枚の印刷された写真が貼られていたのです。

写真には、テーブルを挟んだ14名の男性が写っています。室内と思われますが、全員がコートと帽子を着用したままで、まさに食卓に着いたところでしょうか。テーブルの右端に座っている男性は士官のようですが、その他の人物はウシャンカと呼ばれるロシア帽子を被っていることから、この一群がロシア軍に所属していることを知らせます。そして画面左手前から四人目のひげを蓄えた人物は丸で囲まれ、その向かい手前から五人目と二人目にはそれぞれ「1」と「2」という数字が書き込まれています。

丸印をつけられた人物が作家本人かどうかは現在までのところ確認できていません。ただ、少なくとも、だが確実に言えることは写真が撮影されたのがパリではなく、また写真が貼られたのは作品が制作された後であるということです。

作品が製作された1915年、ペヴスナーはパリを離れ、既に彫刻制作を手がけていた弟のナウム・ガボに合流し、一時期オスロに滞在しています。その後1917年にはモスクワに赴き、同地で美術アカデミーの教授を務めています。1917年と言えば、ペトログラードでのデモに端を発した暴動がモスクワにも波及した、ロシア革命の年にも当たります。この写真は、その時期の生活の一端を我々に知らせるものかも知れません。

現在、パリではアントワーヌ・ペヴスナーのカタログ・レゾネの編集作業が進められています。当館にかつて寄託されていた作品《コンポジション》も収録・掲載されるとのこと。その時、裏面に張られた写真の出典をたどれたならば、進行する革命の真只中で、画家はどのような日々を暮らし、そして彫刻へと転身して行ったのかについての手掛かりともなるでしょう。もう少し調べてみて、何か判明しましたらご紹介したいと思います。

投稿者:J.T.