アメリカのボストン美術館館長来館

10月8日(月・祝)に、アメリカのボストン美術館のマシュー・テイテルバウム館長が来館されました。このたびは、クリスティーナ・ユー・ユーアジア部部長、オリバー・バーカー財団・政府・国際担当マネージャーもご一緒され、現在開催中の「ザ・ベスト・セレクション」展をゆっくりとご覧になりました。

テイテルバウム館長は、特に当館のメキシコ・ルネサンスのコレクションに関心を寄せられ、フリーダ・カーロの《死の仮面を被った少女》を熱心にご覧になられていました。また、モディリアーニやスーチンをはじめとしたエコール・ド・パリの充実したコレクションをどのように築いてきたのかをお尋ねになられていました。

現在開催中の「ザ・ベスト・セレクション」展では、当館を代表する名作や知られざる傑作を一堂に展示しています。また、作家や作品にまつわる資料や収集や保存にかかわる学芸員の調査研究も紹介しています。 (1125日(日)まで)

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テイテルバウム館長と早瀬館長

 

 

 

 

台風21号のちいさな爪痕

 

猛暑がひと段落し、秋風が吹き始めた9月は、二つの大きな自然災害に見舞われました。台風21号の襲来によって、多数の地域で停電や浸水の被害があり、続いて北海道地方を襲った大きな地震は、大規模な土砂崩れや全道規模の停電を引き起こしました。相次ぐ自然災害を前にして、自然に対する人間の無力をひしひしと感じずにはいられません。被災された方々に心からお見舞いを申し上げ、亡くなられた方々に謹んで哀悼の意を表します。

ここ名古屋市美術館でも、台風21号は小さな爪痕を残しました。交通機関が大きな被害を受けたことにより、ランス美術館(フランス)に貸出中の作品、ハイム・スーチン作《農家の娘》(1919年頃、当館蔵)の返却輸送が延期となったのです。

昨年10月、名古屋市とランス市は姉妹都市提携を結び、双方の美術館では、作品の貸し借り等を通じた交流を続けています。《農家の娘》は、今年5月から9月中頃まで、当館からランス美術館へ貸し出され、展示されていました。9月末頃当館に戻ったあと、すぐに106日から開催の「ザ・ベスト・セレクション」展に出品予定でしたが、残念ながらオープニングには間に合いそうにありません。

このランス美術館からの作品返却を例に、海外から作品を輸送する際、作品の点検や梱包、輸送に立ちあう「クーリエ」の仕事について、ここでご紹介したかったのですが、それはまたの機会に。交通機関の混乱が落ちつき、作品を安全に輸送する手段が確保できるまで、いましばらく様子をみる必要がありそうです。“娘”の帰還が待たれます。早く無事に帰ってきてほしいですね。(haru

ハイム・スーチン《農家の娘》

図版 ハイム・スーチン《農家の娘》 1919年頃 名古屋市美術館蔵

ハイム・スーチン(1893-1943)は、ミンスク郊外の小村スミロヴィチ(現ベラルーシ)生まれ。偶像崇拝を禁止するユダヤ教の家庭に育ちましたが、あきらめずに画家を目指し、1912年頃パリに出て、「蜂の巣(ラ・リューシュ)」に住みます。なかなか作品が売れず、貧困に苦しみましたが、モディリアーニやシャガール、キスリングらと出会い、親交を結びました。《農家の娘》は、南仏のカーニュで制作されたといわれています。モデルの女性は質素な服に身を包み、組んだ両手を膝の上に置く古典的なポーズで描かれています。

水谷勇夫『神殺し・縄文』

 

   水谷勇夫(みずたにいさお/1922-2005 )は名古屋市に生まれ、名古屋を拠点としながら活動した美術作家です。名古屋市美術館も作品を所蔵しています。美術制作の手法を独学し、膠彩画(いわゆる日本画)の技法を基にした絵画やテラコッタによる立体の制作などとともに、舞台美術の制作や行為による美術表現を行うなど、多様に活動しました。1993年のNHK大河ドラマ「琉球の風」の題字を手掛けるなど、書家としても知られています。

 

 水谷は、縄文の土器や土偶に惹かれ、日本の神話との関係を独自の手法で考察することもしています。その成果は1974年に『神殺し・縄文』(伝統と現代社)として出版されています。初版発行から45年の今年、同書は単行本から文庫本へと体裁を変えて、名古屋の出版社である人間社から再び出版されました。

神殺し・縄文カバー (加工用)

水谷勇夫『神殺し・縄文』(人間社文庫 日本の古層、人間社、2018年) カバー表

 

 文庫本には、考古学者の小林公明と水谷の次男で歴史学者の水谷類による文章2つと水谷本人の論稿1つが加えられています。手に入れ易い文庫本によって、水谷への理解が深まることを期待します。

 

投稿者: み。

 

 

 

野外彫刻のひとりごと③

 

私は、《魂》と名付けられた石の彫刻である。

 

イサム・ノグチ氏の香川県高松市牟礼のアトリエで生み出された。

 

私は、名古屋市美術館の裏庭の池をのぞむ場所に、ひとりポツンと立っている。

 

裏庭には時折人々がやってくるが、大概は静かなものである。

 

ノグチ氏が私を《魂》と名付けたのは、何故なのだろうか。

 

実際のところ、魂というものがどのような形をしているか

 

誰も見たこともないだろう。

 

ノグチ氏にとっては、魂はこのような形に思えていたのだろうか。

 

私は来る日も来る日も美術館の裏庭に立ち続け、

 

いささかくたびれてきた。

 

しかしここにいると、裏庭の四季の移り変わりを見ることが出来る。

 

楽しみもまた、あるのだ。

イサム・ノグチ1

 

イサム・ノグチ2

 

*イサム・ノグチ《魂》1982年 安山岩

 イサム・ノグチは津島市出身の詩人野口米次郎とアメリカ人女性との間に生まれました。日本とアメリカという二つの祖国を持つ彼は、スケールの大きな彫刻作品やモニュメント、庭園などを制作し、「大地を彫刻した男」と呼ばれることもあります。この作品は小ぶりなものですが、無駄なものをそぎ落としたすっきりとした造形に、イサム・ノグチの類まれなセンスが光っています。この彫刻は、名古屋市美術館の南側にある庭に立っています。

 

投稿者:AN

 

 

あの場所は今:ユトリロが描いた「ノルヴァン通り」

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エコール・ド・パリの優品を数多く所蔵する名古屋市美術館。コレクションのきっかけは、愛知県稲沢市出身で、50年以上もパリに滞在し、現地の風景を描き続けた画家・荻須高徳の存在でした。荻須が描いた場所は、稲沢市荻須記念美術館の調査などによって、いくつも特定されています。例えば当館が所蔵する荻須の代表作《洗濯場》が描かれた場所は、パリ市内ではなく、パリの北部に隣接する都市・オーベルヴィリエであることがわかっています。

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さて、当館を代表する風景画、モーリス・ユトリロの《ノルヴァン通り》は、パリの道の名前がタイトルになっていますので、場所の特定は難しくありません。ノルヴァン通りは、パリ北部の小高い丘の一帯、モンマルトルにあります。白亜のドームが美しい「サクレ・クール寺院」や、20世紀初頭に若きピカソらが使用した共同アトリエ「バトー・ラヴォワール」、サルバドール・ダリの美術館「エスパス・ダリ」などがある、言わずと知れたパリの観光名所です。ノルヴァン通りはサクレ・クール寺院から西に伸びており、歩みを進めていくと似顔絵描きで賑わう「テルトル広場」に出ます。

図3

スターバックス・テルトル広場店を通過して1分ほど歩くと、ノルヴァン通りはジャン=バティスト・クレマン広場通りに分岐します。この三叉路に立ち、来た道を振り返ると、ユトリロが描いた《ノルヴァン通り》の風景を見ることができます。

図4

図5

ユトリロの絵と実際の風景を比べると、建物はほとんど変わっていないのがわかります。ノルヴァン通りの奥にそびえるサクレ・クール寺院のドームも、ほぼ同じように建物越しに見ることができます。正面に見えるレストラン「ル・コンスラ」(Le Consulat)は現在も営業中。右の建物の一階は、ユトリロの描いた当時はパン屋(Boulangerie)でしたが、現在は黄色い庇が目をひく土産物屋に変わっています。

図6

ユトリロと同じような構図で写真を撮ろうとすると、カメラを高く掲げる必要がありました。ユトリロはモンマルトルの白黒の絵はがきをもとに絵を描くことも多かったと言われており、当館の《ノルヴァン通り》も高い三脚を用いて撮影された写真(の絵はがき)を参考にして描かれたのかもしれません。撮影当日は曇り空、時折小雨の降る天気で、建物も石畳の路面もやや鈍い灰色の印象が強く残りました。ユトリロの《ノルヴァン通り》も曇り空ですが、画面の色調はやや黄味を帯びた白が支配的であり、実際の風景よりも温かみを感じます。ユトリロの風景画は作者自身の孤独や憂愁が投影されている、などと評されることも多いですが、あまり先入観に囚われずに見た方が良いのかもしれない、との思いを強くしました。

 

投稿者:nori

 

 

名古屋市美術館開館30周年記念特別展「モネ それからの100年」開会式

4月24日、名古屋市美術館開館30周年記念特別展「モネ それからの100年」の開会式が行われました。

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開会式には、主催者の名古屋市美術館、中日新聞社、東海テレビ放送及び東海ラジオ放送の関係者をはじめ、展覧会開催にあたって多大な協力をいただきましたマサチューセッツ大学名誉教授のポール・ヘイズ・タッカー様及び光村印刷様にご臨席いただきました。また、本展出品作家の小野耕石様、児玉麻緒様、根岸芳郎様、水野勝規様及び湯浅克俊様にもご臨席いただきました。

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当日は、あいにくの雨にもかかわらず、大変多くの方にご来場いただき、内覧会も賑わいました。

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時代を超えて現代にまでつながるクロード・モネの芸術の深みと広がりを、彼の精神を受け継ぐ現代美術の作家たちの作品と比較することで紹介します。

本展は、名古屋会場と横浜会場の2か所のみの巡回となっておりますので、この機会を逃さず、是非名古屋市美術館に足をお運びください。

 

 

「真島直子 地ごく楽」開会式

3月2日、「真島直子 地ごく楽」の開会式が行われました。

開会式には真島直子氏もお迎えし、作家を中央に囲んでのテープカットとなりました。

開会式

本展では、〈地ごく楽〉シリーズなどの代表作品に初期作品と油彩画の近作を加えて作家の創作の歩みを紹介します。本展は、名古屋市出身の作家にとって郷里で開催されるはじめての大規模個展となります。

作品には、白い大画面に鉛筆のみで描写された「鉛筆画」、多色で鮮烈な印象を与えるオブジェやインスタレーションによる立体作品などがあります。

展示室1

展示室2

展示室3 

3月24日(土)午後2時からは、本展覧会を企画した当館学芸員の解説会を開催します。

定員は先着180名で2階講堂にて無料でご参加いただけます。

みなさまのご参加をお待ちしております。

「真島直子 地ごく楽」は、4月15日(日)まで開催しております。

みなさまお誘い合わせの上、ぜひお越しください!

野外彫刻のひとりごと②

 

我々は、実に薄っぺらい生き物である。

我々を作ったのは、どうも、アンテスという人物らしいが、

一体なぜ、こんなに薄っぺらくしたのだろうか。

我々は薄っぺらいので、林のなかに見え隠れするように存在している。

何人いるか、興味のある人は数えてみるとよいだろう。

林の中で我々に取り囲まれた人は、どんな気持ちになるのだろうか。

一度聞いてみたいものだ。

我々の風貌は、どこか他の天体からやってきた異星人のようにも見えるらしい。

しかし、我々自身も、自分の故郷を知らないのだ。

気が付いたら、この白川公園にいたのだから。

 

アンテス

*ドイツの作家ホルスト・アンテス(1936-  )が白川公園を視察して制作し、1997年に設置された《名古屋のための5つの人体》という作品です。木々の間に見え隠れする人体像は不思議な風貌をしており、私たちの想像力を喚起します。白川公園の南西の林の中に設置されています。

投稿者:AN

展覧会カタログ校正の仕事

 

 展覧会の準備過程における大きな仕事のひとつに、図録作成があります。1冊の図録が完成するまでに、印刷や製本以外にもさまざまな工程を経ます。予算や納期に余裕があれば外部に委託する翻訳や校正などの作業を、諸般の事情から学芸員が担うことも珍しくありません。

 昨年末から年明け1月にかけて、3月初旬から始まる真島直子展の図録の校正作業が続きました。もちろんテキストを執筆した学芸員も校正しますが、仕事の一環とはいえ自分で書いた文章を何度も客観的に見直すのは意外と難しいものです。そこで展覧会サブ担当がまっさらな眼で一字一句確認します。「内容を細かく理解していない人間が校正をして役に立つの?」と思われるでしょうが、実際に図録を手にする来館者と近い視点で文章に目を通し、分かりにくさや助詞の不自然さなどを客観的に指摘してくれる存在は、校正作業に欠かせません。

 誤字脱字に始まり、漢字の変換ミス、送り仮名やルビの過不足、旧字と新字の混用、外国語のスペルミス、表記の揺らぎ、図録に収録される出品リストや年譜などの資料との整合性、文字と文字との間隔や行間、文字のサイズ違い、書体(フォント)の違いなど確認項目は、山のようにあります。これ以上ないというほど丁寧に見たつもりでも、納品されたカタログに漏れや見落としを発見して、凹むこともしばしばです。

 単純に文字だけ追っていては気づけない間違いもあります。別の展覧会でのことですが、図録校正中に出品リストの寸法の欄を見て「輸送トラックに積載可能な大きさを超えている?」と思って確認したところ、0が一つ多かったことがありました。直接見たことのある作品ではなかったのですが、展覧会のメイン担当者から「今回は重量のある立体作品ばかりで、輸送にトラックが何台必要になるか…」との話を何度も聞いており、作品積み込みのイメージが漠然と頭の中にあったことが功を奏したのでしょう。単純な入力ミスとはいえ、後々まで資料として残るものですから、慎重を期すに越したことはありません。

 われわれ学芸員の校正作業は、校閲のプロとは比べものにならないほど甘いものですが、実際に作品を取り扱う立場でしか気づき得ない観点から少しでも役割が果たせるとホッとします。

校正を通して一語一語に向き合い、筆者がどのような意味合いで使っているのか分析するように読むのも楽しいです。そんな呑気なことを言っていられるのも今のうちかもしれませんが…(老視は校正の敵)。

 この原稿がアップされる頃には、図録は制作の最終段階、展覧会の準備もいよいよ迫ってきます。3月3日(土)からの真島直子展、どうぞご期待ください。

 

 

投稿者:3

コレクション解析学

今年の冬は寒い!とくに最近すごく寒いです。東京は大雪で大変そうでしたが、この名古屋にも今夜雪が降るとのこと。しかも、インフルエンザも大流行中。みなさん、くれぐれも暖かくして、お身体ご自愛くださいませ。

さて、21日の日曜日、コレクション解析学を開催しました。

コレクション解析学は、毎年学芸員がコレクションの中から作品を1点選びレクチャーする連続講座です。市民のみなさまに広く収蔵品を知って頂く機会にしたいという企画ですが、学芸員が調査研究をすすめるために、強制的に自らを追い込む企画でもあります(笑)

今年度、わたしが選んだ作品は椎原治の「流氓ユダヤ」というシリーズの写真です。

椎原治

椎原治

流氓ユダヤ-仮睡

1941年

名古屋市美術館蔵

現在、常設展にて、ビンテージプリントの椎原治の作品、田淵銀芳と川崎亀太郎のニュープリント、そして安井仲治の『安井仲治写真集』から、このシリーズの名古屋市美術館で所蔵しているものすべてをご紹介しています。

安井仲治

安井仲治

流氓ユダヤ-三人

『安井仲治写真集』より

これらの作品に写し出されているのは1941年に神戸に滞在していたユダヤ難民の人々です。大阪のアマチュアの写真倶楽部の「丹平写真倶楽部」の有志のメンバーが撮影しました。

1940年7月カウナスの日本領事館の前に、ナチスの迫害を逃れるために、大勢のユダヤ人が「日本通過ビザ」を求めて殺到します。当時リトアニアの在カウナス領事代理だった杉原千畝は本国外務省に大量のビザ発給の可否の伺いを立てるが返答は不許可というものでした。しかし、連日押し寄せる人々を前に、杉原は違反を承知でビザの大量発給を決断。これが今日知られる「命のビザ」になります。このビザを手にしたユダヤ人がヨーロッパからはるか遠くに位置する極東の日本にやってきて、神戸に滞在したのです。「流氓ユダヤ」のシリーズは、写真表現としての作品でありながら、当時の亡命ユダヤ人の存在を証明する貴重なドキュメントでもあります。

ここには、逃避行の旅路の途中にある人々の束の間のリラックスした表情、あるいは友人たちと歓談している姿、物思いにふける様子など、様々な姿が写し出されています。その姿から、流浪の旅人ならではの哀愁や、人が生きるという、人間の力強さなどが感じられます。撮影した写真家たちが彼らと触れて感じた人間的な感情が伝わってくるような作品です。

一方、なぜ、彼らが故国を捨てて亡命しなければならなかったのか、そして、どんな奇跡が重なって亡命することができたのか、当時の社会情勢について歴史を紐解いていくことは歴史を学ぶことであり、同時に今現在わたしたちが直面している出来事をどうとらえ、どう向き合うかということにもつながっていくように思います。

このシリーズをまとめて展示している貴重な機会です。ぜひともご覧ください。(2月18日まで)

展示風景

展示風景2

 

投稿者:hina